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表自界隈の弱者男性こそ「不倫」を擁護すべきだ

「表現の自由戦士」の政治における筆頭、山田太郎議員に文春砲が飛んだ!!

さすがに本人は否定していますが、文春が「買春」として報じてしまったこともあり、同じ「表現の自由戦士/界隈」を含めた、多方面から非難を浴びせられています。

しかしその中に、私には一介の「表現の自由擁護派」として、看過できない主張があります。「買春していなくても『不倫していること』自体が問題だ」という主張です。彼が不倫については謝罪しているとはいえ、これを「表現の自由擁護派」が同調してしまうことには、かなり問題があると思うのです。

確かに山田議員は複数の女性から愛される程度の「強者男性」だった。けれども。

特にそのような声は、「非モテ弱者男性」界隈に多く見られます。

「俺たち『二次元オタク弱者男性』の最大の味方だった山田が、実は三次元女を食いまくっている『強者男性』だったなんて…」

敵対(親表現規制)勢力のなりすまし工作とも一部では言われていますが、これに類する反応は結構あちこちで見られました。

実際に(特に男性による)不倫というのは、それなりの地位・財力を持った強者による特権という面はあり、「非モテ弱者男性」・「インセル」界隈ではそれに対抗する形で「一夫一婦制   代替不可能な一対一のパートナーシップが徹底されているほうがましだ」という主張が根強く、それゆえにこうした報道がなされる度に不倫男を非難することはしばしばあります。

しかし皆さん、重要なことを忘れてはいないでしょうか。

いわゆる「性表現の自由」も、「性的自由主義」なしには成り立つものではありません。もっと端的に言うならば、その「不倫」も擁護されるような「自由恋愛社会」でなければ成立し得ないものなのです。ここから「自由恋愛を否定し、伝統的性観念を奨励」するようなムーブメントが出てくるならば、彼らこそ本物の「肉屋を支持する豚」と言えるのではないでしょうか。

「性表現の自由」は性的自由主義、ひいては「自由恋愛社会」の下でしか成り立たない

以前から繰り返し述べてきているように、そのような「自由恋愛を否定し、伝統的性観念を奨励」する体制が敷かれている下でも、フェミニストの言い分はなくなりません。それを逸脱したあらゆる性関係について「その厳格な規範を破ったのは男のほうだろう」と言うでしょう(実際にイスラム圏の女性団体なんかだと「名誉の殺人」が国内メディアで報じられる度にそのような声明を出しているそうです)。

ぶっちゃけて言えば、その「皆婚社会」・「伝統的性観念」・「代替不可能な一対一のパートナーシップ」への固執こそが、この件が「買春疑惑」として報じられた事も含め、女に被害者面させる隙を与えているのです。

だからこそ、我々はそもそもこのような規範が徹底されることを支持していないということを、もっとはっきりと表明しなければならないのです。自らを“現実世界の”性愛に順応できない性指向フィクトセクシャルと自認するなら猶のこと(リンク先はMGTOW理論に準拠しているのでやや先鋭化した主張に見えるかもしれませんが)。

その上で、読者の皆さんにも、今一度考えてほしい。「皆婚社会」は、本当に復活・再構築させるべきものであるのかを。それで本当に「弱者男性」は救済され得るのかを。

二次元オタクが「インセル」「非モテ弱者男性」と同じものとは思えない

更に言うと、私には「二次元オタク」が(どのような性指向・性嗜好を持っていたとしても)、海外のインセルINvoluntary CELibateと同じように「性的に充足していない状態にある」とは思えません。

そもそもバブル的男女関係に振り落とされた男性や恋愛ないし結婚できるほどの地位・財力を得られなかった氷河期世代男性の代替的恋愛として発達した二次元文化。その表現の在り方は、「普通の恋愛・結婚・夫婦関係」的なシチュエーションだけを取っても、年を追うごとに豊饒さを増していきました。「子供を産み育てること」を除けば、もはやほぼ現実的に可能なことを代替しきっているといっても過言ではないと思います。「普通でない、常識を逸脱した性愛」については言わずもがなです。

もしこれが、インセルが根本的に求めていたような「一対一のパートナーシップ」の厳格な規範の下なら、こうした形での「充足」も、繰り返し述べているように、許されるわけがないでしょう。

「山田議員をアクロバティックにでも擁護しろ」とは私も言いません。しかし「不倫という関係」が擁護できなければ、当然に性表現の自由も、理論的支柱を失ってしまうのです。そのくらい微妙な立ち位置に、表自界隈は置かれているのだということは、そこに属する一人ひとりが自覚しなければならないことではないでしょうか。