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スタンフォード 2019年卒業式:Make a change with people, not to people.

この間冬学期が終わったと思っていたら、あっという間に春学期が終わり、先週日曜日にCommencement(卒業式)を迎えてしまいました。国際教育政策分析コース(International Education Policy Analysis) では、7月末まで、クラスメイトとの意見交換なども交えながら修士論文の執筆が続きますが、大学全体・教育大学院全体の卒業式はこのタイミングで行われます。

前回の記事(EdTech8選)の後半もまだ書けていませんが、アメリカ生活の一つの区切りとして、とても感慨深い日だったので、忘れないうちに今の気持ちを書き残しておきたいと思います。

1.大学全体の卒業式

スタンフォードではとにかくみんな服装がカジュアルで、普段は「フォーマルなプレゼン」と言われても、Gパンで発表する人が多くいます。院生向けの入学セレモニーでも、学長はポケットに手をつっこんでウェルカムスピーチをしていました(笑)。

…ですが、卒業式だけは特別で、「ガウンを着ていない人は会場に入ることができない」と事前にアナウンスされました。本気度が伺えますね。

フードは大学院ごとに色が異なっており、Educationは水色と赤色です。

今年は55か国から1,792人の学部生、2,389人の修士生、1,038人の博士生が卒業とのこと。学部生のうち106人がダブル(以上)メジャー、33人がいわゆる文系・理系のダブルディグリー、451人がマイナー(副専攻あり)、201 人がコターム(同時に修士号取得)、修士・博士はあわせて79か国1,077人が留学生、とのことです。

帽子にデコレーションをして臨む人も。中央のデコレーションされた帽子のすぐ左上あたりに、ゲストスピーカーのティム・クック(アップルCEO)が居ます…が、スクリーンの方が見やすかったですね。笑。

ティム・クックのスピーチは大学の公式アカウントで配信されています。ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。

全文もこちらにあります。あまり日本語の記事等にはなっていませんが、印象的だったのは、"Don’t waste your time living someone else’s life" (他人の人生のために時間を無駄にすることはない)など、スティーブ・ジョブズの言葉を引いて「自分の人生を歩むこと」を応援しつつも、以下のように「社会・未来への貢献」の重要性を強調していたことですね。

"If you want to take credit, first, learn to take responsibility."
名声や信頼を得たければ、まず責任を果たすべきです。

"What you build and what you create define who you are."
あなたが何者かは、あなたが創りあげ、残したものによって決まります。

"Match that ambition with humility – a humility of purpose. That doesn’t mean being tamer, being smaller, being less in what you do. It’s the opposite, it’s about serving something greater."
野心的であり、同時に謙虚でもありなさい。それは従順でいろ、自分を抑えろ、といった意味ではありません。その逆です。自分より大きなもののために行動しなさい、ということです。

こうした言葉がなぜ印象に残ったかというと、もちろんその言葉自体に自分が共感したからなのですが、加えて、普段大学で頻繁には聞かないタイプの言葉なので、こういったスピーチがなされることに意外性を感じたからです。(若干身も蓋もない言い方だと自分でも思いますが、中で過ごした人にしか感じられないこととして、書き残しておくことにします。)

ごく念の為ですが、スタンフォードに「社会貢献」のマインドが無いということは一切ありません。教育大学院の授業ではほぼ毎日「格差の解消」「平等」「世界を良くする」といった言葉を聞きましたし、国際開発全般を扱うリサーチセンタービジネスの観点から国際開発を考えるセンターいわゆるソーシャルビジネス・慈善活動などを研究するセンター、色んな視点から「社会貢献」を念頭に置いた教育研究がなされています。

他方、あくまでいち学生の抽象的な感想ですが、スタンフォードのDNAは「社会という所与の存在に対して何ができるか考える」よりも「自分が何者で、何をしたいか考える、それが社会を作る・変える(それが国際開発ならば国際開発を、教育ならば教育を、工学ならば工学を学べばいい)」というところにあると一年を通じて感じていたので、単純にそうでもないのか、シリコンバレーも変わりつつあるのか、ティム・クックの立場から見える何かがあるのか…と、ぐるぐると考えながら、残りのセレモニー(学部ごとの学位授与など)を味わっていました。

ちなみに、初めと終わりには、仮装集団の行進やチアリーダーのパフォーマンスなどがあったらしいのですが、院生は後から入って先に出たので、どちらも見られませんでした。笑


2.教育大学院の卒業式

全体の式の直後、大学院ごとのセレモニーも行われます。ビジネススクールなどでは、前日に行っているみたいですが。

まずは学長やゲストスピーカーのスピーチ…と、構成は全体の卒業式と大きく変わりませんが、

院の卒業式では、一人ひとり名前が呼ばれた上で、プログラムディレクターがフードをかけ、学長がDiploma(卒業証書)を手渡ししてくれます。

ごく個人的には、全体の卒業式より、こちらの方が印象に残っています。名前を呼ばれ、フードをかけられ、ディレクターと抱擁し、証書を受け取る…という一連の流れは「自分が本当に卒業しつつあるんだ」と強く実感させられるもので、とても気分が高揚しました。(実は、夏まで授業があるプログラムの場合、本物の卒業証書は入っていないのですが、それでも高揚します!笑)

もちろん(?)帽子も投げました!楽しむことに夢中で、良い写真が撮れませんでしたが…。

正直なところ、そこまで卒業式を楽しみにしていたわけではありませんでした。(帽子は投げたいと思っていましたが。笑)実質9か月程度しか在籍していませんし、まだ修士論文も続くよね…と。

また、英語のことを筆頭に、留学前の準備不足を痛感する日々が続いていましたし、入学後も、24時間完璧なやり方で勉強できていたかというと、とてもそうは言えません。

かつ、9か月も過ごせば、スタンフォードが(素晴らしい大学ですが)非の打ち所のない場所ではないことも見えてきますし、国際比較教育学は「これを学べば日本や世界の課題が万事解決する!」「理想の教育が実現できる!」という魔法の杖ではありません。修士レベルの学びではなおさらです。(修士論文とPhDの論文では、求められるレベル、スキル、労力、完成度など全てが比になりません。そんな「論文の質」をある程度分かるようになったのは、このプログラムでの大きな学びの1つです。)

ですので、わざわざこのタイミングでイベントをやる必要があるかなあ…とさえ思っていたのですが、そんな自分でも、人生で初めてガウンに袖を通した瞬間に、

ああ、自分はなんだかよく分からないけど、やっぱり留学したかったんだな

手を抜いてしまった日も打ちのめされた日もあったけど、とにかく留学してよかったな

と、なんともいえない感慨が湧いてきました。

留学の目的は人それぞれ(これもいつかじっくり書きたいですが、アカデミアの道を見据えたもの、学生同士や大学のリソースを活用してキャリアアップを実現するもの、アカデミア以外の仕事に役立つ専門的な知見を習得するものなど、いくつかに分類できる気がしています)で、目的に応じた大学に行くべきですし、そもそも全員がしなければいけないものではないと思っています。また、日本の大学も世界に誇れる成果を多く上げていて、海外で学ぶ方が良いと一概に言えるものではありません。

ですが、そういうメリットデメリット論や、スタンフォードが自分にとって本当にベストだったのか論はさておいて、この1年の間に、統計、教育経済、EdTech、ダイバーシティ、教育政策の効果測定、良いリサーチの条件、教育の民営化と民間活力の活用…などなど、言葉にできることもできないことも沢山のことを学んできました。また、より多くのことを学べるよう自分なりに努力・工夫しつつ、そのプロセスを楽しんできたと思っています。そういったことには少なくとも自信を持っていいのかな、と、なぜだかわかりませんが、突然実感することができたので、忘れられない日になりました。

そう素直に思わせてくれるこのプログラム、大学の手厚いサポートには本当に感謝したいです。(大学による学びのサポート体制についてもいずれ書かないとですね…本当に書き残しておきたいことが満載です。。。)

以前の記事でも書いたように、スタンフォードでは「何がしたいのか?」と問われることが多く、その訓練は日々の行動のクオリティ向上にとても役立っていて、今後も考え続けたいのですが、本当の心の奥底のことについては、

自分が何をしたいかはやってみれば分かる

たとえ全力でなくても、自分が本当にやりたいことのための行動は何か既に無意識にとっているから、その延長に向かっていけばいい

というのもまた真実かな、と思いました。自分の場合は、「留学を通じて学ぶ」ということがその1つだったのだろうと思います。過去、本当に自分は留学したいのか、留学できるのか、留学にどれだけの価値があるのか…と悶々としていたこともありましたが、その頃の自分には、ガウンを羽織った自分の写真を見せて、上の言葉を聞かせたいなと思います。

もちろん、そもそも修士論文を仕上げるまで学位はもらえませんし、学長からも「Commencement(卒業式)は何かをCommence(始める)ことであり、終えることではない。」と言われました。留学はゴールではなく、その先自分がやりたいことに向けたスタートである、ということは常に意識していたいと思います。

ガウンとフードはレンタルなのですが、帽子はもらえます。tassel(「2019」のついた房飾り)は、卒業証書をもらうまでは右に流し、その後は左に流すのが、スタンフォードに限らない伝統だそうです。なんでなのか教えてもらえませんでしたが…笑

最後に、この日一番心を打たれた学長のスピーチの一部をご紹介します。

...I think your decision to serve others through education is a very demanding one, and in part, because there is a little paradox sitting in the middle of it. And the paradox is that I think we're the only profession with a thesis of change as we try to embrace all people for who they are and where they come from, and we also try to change them. So that's tough. This is, can be, true whether you are helping a child, a business, policy, or new research, gender. So this delicate balance of respecting yet changing is worthy of some consideration. There are two parts to it. One is what you wanna change them to become. I won't touch that. This is yours. The other is how do you go bullet. I will touch on that. I will propose for you. And the proposal is that you need to make a change with people, not to people...

...教育を通じて他者に貢献するというあなた方の決断は、とても困難なものだと私は思います。一つには、教育は「あらゆる人格や出自の人々を包摂し、かつ、その人々に変化をもたらそうとする唯一の営みである」という小さな矛盾を抱えているからです。これは、子供の支援、ビジネス、政策、研究、ジェンダー、どれを扱おうとも直面する課題です。この「尊重」と「変化」の繊細なバランスを考える際には、2つの視点があります。1つは、どんな変化を他者に対して望むか。これはあなた方自身のものですから、私はここでは触れません。もう1つの視点は、どうやって変化を実現するか。これについて、私は、「人々に変化をもたらすのではなく、人々とともに変化をもたらしなさい」と言いたいと思います。...

自分が普段感じている「教育」の難しさとやりがい、大事なことが、1分弱の言葉の中に凝縮されたような気がしています。

修士論文を仕上げた後も、この学びを「終わり」にしないため、noteの更新は続けたいと思いますので、知りたいことなどあれば、コメントお寄せいただければ幸いです!それでは。

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