今一度、終戦を省みる

本記事にある通り、「八つ当たりの論理」でしかありません。
上に向かって発散できなければ、下に向かって八つ当たりする。軍人でない民間人に八つ当たりする。暴力でしか自己表現できない状況。
論理による問題解決は、「統率を乱す悪」とされます。「上官の言う通り、玉突きで命令が実行されることしか許さず」です。
撤収の命令があった時期がうらやましいと思う最終戦局。玉砕しかない、特攻しかない、もうそれは、戦術ではなく、自暴自棄です。軍隊ではない。完全に目的を失った凶器です。

多くの帰還者は、語りませんでした。帰還者だけではありません。民間の犠牲者にしても、あまり多くを語りません。それほど、悲惨な目に合っているのです。ただ、将官だった人々は、やたらに語る人だったり、恨みつらみの塊だったり、なぜか、平和な時代で豊かな暮らしを手に入れたりしています。全員がそうではないにしろ、それが目立つのです。

結局、戦争を日本人の手できちんと省みることが、今に至っても出来ていない。思想の対立に乗せた感情的な賛美や否定がメディアで取り上げられ、それを視聴した若い人が影響を受ける。インターネットで左右に分かれて、語らなかった帰還者や民間人の思いを鑑みずに論争に耽る。

「なぜ、戦争を止められなかったか。メディアも含めて熱にうなされる様な酔った高揚感を ”ちょっと、まて” と疑う事が出来なかったのか。」

「勝てない戦(いくさ)」が明確にわかっていた上層部。奇襲で戦局を開いて有利なところで和睦する。そんな、極端に甘い考えがなぜ罷り通ったのか。現在の、組織の中で同じように甘い分析が罷り通っているのではないか。責任を押し付けあい、早期の終戦を成しえなかった組織の論理。今に至ってそれを引き継いでいないか。

断腸の思いでちいさな負けを選ぶにしても、その先にある大きな勝利をつかみ取る。それを学ばなければ、あの小さな勝利に固執した戦争をふたたび繰り返してしまう。固執が組織の硬化を呼び、八つ当たりを醸成し、目的を失い凶暴化する。目先の戦略・戦術で、どれほどの犠牲を積み上げてしまったか。それを、きちんと省みなければならないのです。



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