自衛は世襲で引き継がれる

以降、妄想です。

庶民が潰えても、兵が生き残れば国が成り立つ。先端技術が潰えても、一組のつがいの兵が生き残れば、国は滅びない。

ほどんどの国で、女性防衛官を増やしています。上記の事が目的でないにしろ、結果的に国を形成するのは、兵なのかもしれません。
一般人の防衛意識が薄れる中、防衛に携わる人々の意識は高まっていきます。「自分たちが守らねば、誰が守る」と。
その子供たちも、両親の影響を受けて育ちます。「自分らの世代が守らなければ、誰が守る」と。そして、一般人との意識の乖離が深くなっていきます。

この現象は、政治にも表れています。代議員、警察官、消防官、海上保安官、その他、安全保障を担う人々全般です。
究極の有事の際、「誰を優先して守るのか」となれば、国を背負う意識の高い人々を守ることになるのでしょう。世襲された安全保障に関わる人々が優先されるのです。

女性もこの役割を呑み込みます。人権を訴える前に「責任を果たす」思いがよぎるからです。自身の思いを呑み込みながら、次世代を増やす役割を。

この現象を、一般人はどのように受け止めているのか。防災、防衛、治安、外交、国の在り方。すべてにおいて、「他人事」として受け止めてはいないでしょうか。個人の利益は全体の利益。全体の有事は個人の有事。やがて跳ね返ってくる「責任」に目覚める時は、いつか。そのときに「守られる存在」となっているのか。この問いを、私自身に常に投げかけていこうと思います。


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