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露伴先生Ⅰ

数日前に見た再放送のドラマのせいで、頭の中が「くしゃがら」でいっぱいです。今日はこれだけ。

・・のつもりでしたがもう少しだけ。
昨年12月に放送された『岸辺露伴は動かない』の再放送を観ました。いやあ、NHKっていいドラマ作りますね。今年の12月に続編が決まったとのこと。待ち遠しいです。

ところで「先生」という言葉。「先」を「生きる」って書きますよね。つまり、自分には見えていない未来(先)を見ながら現在(今)を「生きる」人を指す言葉であって、「先生」とはそういう存在に対して"敬意"を示す言葉ではないのでしょうか?

作家先生、漫画家先生。そして、政治家や医者も先生と呼ばれますが、今、この方々に対する敬意はあるのでしょうか?自分には「先生」と同じ未来(先)が見えているのでしょうか?

自分には見えていないのに、見えていると思い込んでいる人にとって「先生」と呼べる存在は、誰一人いないのかも知れません。

私は、日本の政治家や医師会の頂点に立つ方々と同じ未来(先)を自分が見えているとは思えません。自分は何者でもなく、こうした方々を軽々しく批判できるほど、自分が状況を俯瞰して遠い未来が見えているとは思えないからです。だから〇〇が悪い!と発することはできない。自分が見えていないだけだ、と捉えるようにしています。

ただ、明らかに目の前しか見ていない方々に対して「先生」と敬意をもって呼べるのかどうか。「先生」の定義から外れてしまいます。

ただ、どうしてなのか、先を見ている訳でもなく情報の座標を示すだけのただの仕組みであるGoogleのことを「Google先生」と呼んでしまうんですけどね。


[2021.08.17投稿]いいね:34


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