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そこにあるからさ Ⅱ

「なぜ、山にのぼるのかって?そこに、山があるからさ」


これはイギリスの伝説的登山家、ジョージ・マロリーが口にしたという、あまりにも有名な言葉です。マロリーはエベレスト登頂への2度の挑戦の後、ニューヨーク・タイムズの記者の質問に「そこにあるからさ」と答え、3度目の挑戦の際、山頂付近で消息を絶ってしまいました。


実はマロリーは、この言葉を発する9年前にも登山雑誌へエッセイを寄稿していました。その中でマロリーは「登山家はなぜ命を危険に晒してまで山に登るのか」という素朴な疑問に対し、彼なりの回答を提示し、エッセイの最後は次のような文章で締め括られています。

何か崇高なものが登山の本質だ、と〔私たち〕登山家は主張する。登山家にとって、丘の呼び声は素晴らしい音楽の旋律に比することができるのであり、この比較は馬鹿げたものではない。

山がもつ抗いがたい魅力を何とか説明しようとして、マロリーが捻り出した"崇高"という概念。これは、大自然の雄大さや美しさに感動した!・・という感情ではありません。そうした感情に加え、自然の大きさや力に感じる恐怖や畏怖と混じり合った高揚感という、矛盾するような感情を言い表すために用いられるようになった言葉だそうで。ただし"崇高"は時代によって論じられ方が変化しており、簡単に説明するのは難しい。NPさんからランダムプレゼントで届いた『近代美学入門』では、芸術や美についての説明を前菜に、メインディッシュの一つとして"崇高"を取り上げ、章を設けてじっくりと解説がなされているのですが、ここで順を追って説明するには文字が足りない。

著者の井奥陽子さんの言葉を借りると(・・というかマロリーの話もそのまんま引用ですが・・)近代の人々が大自然に感じていた崇高の感情は、現代では科学技術に対する感情となった(技術的崇高)という考えもあり、さらには資本主義によるグローバル化が現代における崇高として論じられることもあるとのことで。

20世紀以降の私たちは、自分で生み出したはずの強大なものに逆に圧倒されている。崇高は現代社会の歪みを説明するために有効な概念としても注目されている。・・という訳で、このところ個人的に一番ホットな"崇高"です。

参考書籍:『近代美学入門』井奥陽子 著


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