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紅玉から珠玉の「タルト・タタン」

私がこんなにもタルトタタンに魅了されたきっかけは何なのだろう。

もちろんブロンディールである。

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思えば昔からりんごパイのようなものが苦手だった。果物になぜ火を入れるのか?あの独特のクタッとした食感、甘いのか酸っぱいのか甘くさせられているのか、なんなのか、シャキッとして元気です、といった感じのいつもの林檎ではない、果たして其処に居るのは何者なのだ…?
という疑惑が生じる。

フレッシュでこそフルーツ、フルーツの生きる道はフレッシュと長年思い続けてきた。しかし、そこへブロンディールのタルトタタンが扉をこじ開けた。私に突破口を切り拓いてくれたのだ。未だ見ぬ風景へと連れ去ってくれた珠玉のタルトタタン。嗚呼…タタン、タルトタタンよ…!
まさに『林檎自身も知らないであろう林檎の魅力』を極限まで引き出し、その他最高の脇役共々に究極のバランスで味わせ魅せる逸品なのである。

だから藤原シェフには心から感謝している。

そしてこれからも、感謝をしながらブロンディールへと通うことになるのだと思う。
和菓子に日本の四季やその移ろいがあり無常だからこそ美しくある自然へと想いを馳せるように、フランス菓子にも巡る季節、伝承される異国の土地文化へと想いを馳せる歓びがある、遥か遠くの日本に居ながらにして遠い国への情景に心動かされる、それを生み出しブレずに与え続けてくれる藤原シェフには感謝しかない。
遠く日本でフランス菓子を味わえる場所、ブロンディールはもう生活の一部、タルトタタンも日々の暮らしの中の日常風景となってゆく。

話が脱線していきそうなので元に戻すと、タルトタタンはそれはそれは深遠で素朴でやっぱり林檎という素晴らしい食べ物だった。

ではブロンディールのタルトタタンは他と何が違うのか、独断と偏見と愛による3つの枠で語らせて頂きたい。

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タルトタタンを語る3つの側面
①火入れ
②バランス
③紅玉よ紅玉であれ

①火入れ
タルトタタンは火を入れる。火を入れないと始まらないのがタルトタタン。
そもそもの由来がタタン姉妹が林檎パイの焼き方を失敗してしまった事からキャラメリゼのあの旨味が導き出され、それがやがてタルトタタンとして世に知れ渡るようになった。
では、実際の焼き込み具合はどうだったのだろうか?キャラメリゼが引き起こされるくらいなのだから林檎パイよりは焼きが入っているのだろう。300%火入れをするのか200%なのか100%なのか、いわゆる普通の林檎パイの火入れ具合が50%だとすると、100%を超える辺りからキャラメリゼが引き起こされペクチン支配力が高まり固まってゆく、150%辺りで林檎のフレッシュな食感とクタッとしてくる交差点に差し掛かり、200%超えからは林檎成分に変化が訪れやがて林檎だったという記憶(味わい)だけを残して、300%超えはもはや別人(林檎)になる。
火入れを強くすれば林檎同士の結合が促進され、羊羹のような一体感とともに甘味酸味そして苦味が際立ってくる反面、林檎本来の慣れ親しんだ果実感が失われてゆく。林檎の方向性を定め、焼きの度合いをどうするかで結果が全く変わってくる。

その点、ブロンディールの火入れ加減は、絶妙なポイントを見極めている。
もうそのポイントしかないであろう林檎の旨みを引き出し、林檎のプライドを最大限に昇華させている。
藤原シェフは云う「最近は飴色に焦がしたものがおいしいとされているが、自分は焦がす方法は取らない」「焦がすと苦味が際立ってしまう、タルトタタンのおいしさは林檎の味わい」、つまり一部だけ際立たせるというのではなく、味食感すべてのバランスが取れている状態こそが最もおいしいと。

確かに、林檎が火入れをされながらも尚も活き活きとしているのだ。酸味、甘味、苦味の三本柱、そして絶対に譲れない果実味。紅玉の酸味は柔らかに酸味を感じさせ、砂糖による甘味が引き出し、外側はほんのりキャラメリゼさせて苦味を纏う。
紅玉のポテンシャルを最大限引き出すため、ソテーと焼成の二度の手間で実現しているらしいのだが、ミディアムレアな火入れは、じっくりと奥に眠っている旨みを引き出しながらも凜としたフレッシュさを同時に感じさせるという、まさにピークポイントで見事に仕上がっている。これは生のリンゴでは絶対に味わえない旨味であるし、ただ熱を加えただけでも逆に追い込みすぎても味わえない、僅かな着地ポイントであるピークの1点のみで成し得る旨さ。流行や世間に左右されず、自身が信じる確固たる美学によって表現したい味わいに向き合うことで到達できる領域だと言える。

②バランス
ここでいうバランスとは、全てのパーツの調和のことを指す。藤原シェフはこのバランス感覚がとにかく研ぎ澄まされている。パート毎に美味しいのは当たり前で、主となるパートがあるとすれば必ず支える副パートが存在する。しかしその副パートは決してムダに多くはしない、殆どの場合2つまでとあくまでシンプルに主役を引き立てる分かりやすさを重視する。その筆頭として、フランボワーズや赤すぐりがよく使われるが、実に効果的に必然性を伴ってキレ要員としての使命が行われている。
ではタルトタタンではどうだろう。

タルトタタンは林檎そのもの自体が甘くもあり酸っぱくもありほろ苦く(キャラメリゼ)もある。そこへ足すとすれば素朴な風味を凛としたキャラクターにアップグレードする風味、また火入れで濃密になった林檎を柔らかに包み込む滑らかさ、そして地盤を固め食感を含めたコントラストを生み出す芳ばしさ。いかにして主の林檎を立たせ、全体で味わいを感じさせるか、全体調和の向こう側に旨さが広がっているのが重要なのである。
世の中には種々様々なタルトタタンがある、素朴、スパイシー、まろやか、そんな中、ブロンディールのタタンはひと言表すと「気高い」。
その印象を作り上げているのは、トップに盛られたクレームシャンティの力だと思われる。このクレームシャンティー、添えられたバニラの鞘が示すように、タヒチバニラの薫りが移されている。口溶けは軽やかで滑らかで甘くない、焼成された林檎にコクを与え、それでいてフワッと白いヴェールで包み込むような薫りの余韻をもたらす、バニラの高貴な薫りは素朴な風味に凜とした印象をそっと添えているのだ。

そしてフィユタージュ、コーディネートは足元からと云うように重要なパート。もちろん抜かりない。
時間が経ってもまず湿気らないよう表面にキャラメリゼが施されている。ボトムで林檎とシャンティーの柔らかさを支え、コントラストを生む地味ながらも重要な役割、ただ単に芳ばしさ重視のものでもないし逆に力強さが物足りなくもない、単体でしっかりと美味しく、そして全体で味わうことで調和する絶妙なポイントで待ち構えているのだ。
素晴らしい…

③紅玉よ紅玉であれ
君は君のままで十分にうつくしい。
紅玉の持つ力強さを活かし、おいしさを感じさせるピークとは何か?その一つの答えがブロンディールのタタンには在る。
味わいはあくまで旬の紅玉の素性を活かすこと。なので風味づけは最小限に抑えている。素の良さをダイレクトに感じさせつつ、眠るポテンシャルを最大限に引き出し活かすことが最善の方法なのだとでも言っているよう。
その後の焼きの工程でもキャラメリゼが起こるか起こらないかの追い込みすぎない方法論も、まさに旬の紅玉が持つスペックに最大限のリスペクトをした結果として導き出されていると言えるのだ。
タヒチバニラとともにソテーする事で、紅玉の力強い酸味は適度にマスキングされ、高貴なマントを纏ったかのように素朴な表情に風格が加わる。そして型に入れオーブンで焼成する。黄金色に深みを増しながら旨みを引き出しながら、徐々に大人顔になってゆく紅玉。こうして都会に出てきた今も決して忘れてはならない林檎としての芯、つまり外側はしっかり火が入りキャラメリゼを受け入れながらも内には熱い魂という名の林檎としてのプライド=あの唯一無二の歯触りからのジューシーな味わい、これこそが紅玉よ紅玉であれ…!という藤原シェフからの哲学のような、熱いメッセージなのだと勝手に捉えている。
作り手であるシェフがブレなければ、材料である紅玉もまたブレないという訳である。どうありたいか、どう感じさせたいか、世間の流行に迎合せず明確に一本芯を通し続ける事で、紅玉は紅玉で在り続けさらに黄金色に光り輝くことが出来る。
ブロンディールのタルトタタンが「気高く」感じる理由は、まさに藤原シェフの決してブレない考え方にありそうだ。

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最後に
2018年は例年より1ヶ月も早くタルトタタンが登場した。驚いて駆けつけた。温暖化の影響なのだろうか、ブロンディストにとっては秋の深まりを知らされる季節の便りのようなもの、一年を通してフルーツ主体のラインナップではない中、タルトタタンだけは特別に待ち遠しく感じる。それはフレッシュの林檎とパティスリーとしての仕事が見事に昇華された、この場所この時期でないと味わえないものだからだ。

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まさに、紅玉から珠玉が生まれる場所、
それがブロンディールなのである。








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