見出し画像

27 ビター・スイート/人生のいろどり

今日はおやすみ。
個人で仕事をしていると、いくらでもやること(やっておくといいなと思うこと)があって、それはやりたいと思うことでもあったりするから、決めておかないと休日は来ない。ずっとパソコンの前でなにかをし続けてしまう。

だから、今日はおやすみにすると決めた。
夫は、家からオンラインのしごとをしなければならない日なので、ひとりで午後から買い物に出かける。なにをするでもなく、ただぷらぷらと気の向くままに、宛てもなく歩いているのがほんとうにすき。

急に寒くなったから、ぬくぬくとした洋服に吸い寄せられる。
ちょうどよさそうなカタチと理想的な丈のコートを見つけて、ほくほくと眺めていた。コートの丈というのは、いちばんその年の気分があらわれるところ。ふりまわされると毎年買わなきゃいけない気持ちになるし、無頓着でいるといっきに古ぼけた印象になるし、むずかしい。
コートは大物だけれど、日々のなかで登場する頻度が高い、うえに、自分からも他者からもいちばんよくみえるところ。これは、冬の外出時の自分のご機嫌に大きく作用するパーツ。とかなんとか、買った方がいい理由をならべて正当化している笑
明日、買いにいこうかな、どうしようかな。


帰り道、車のラジオからアデルの古いうたが流れてきた。
あの特徴的な声。ビターな歌詞。
全身で、歌う ”Someone like you"

Never mind, I'll find someone like you
I wish nothing but the best for you too
Don't forget me, I beg
I'll remember you said,
"Sometimes it lasts in love but sometimes it hurts instead,
Sometimes it lasts in love but sometimes it hurts instead"

気にしないで、あなたのような人を見つけるわ
私もあなたの幸せだけを願ってる
だけど私のことを忘れないで、お願い
あなたが言っていたのを覚えてる
「愛は永遠に続く時もあれば、傷つくこともあると
愛は永遠に続く時もあれば、傷つくこともあると」


家族のあいだに、たしかに愛情があるのに、表面的にことばがすれちがって、互いに傷ついていく。そんな様子を、ただ眺めているしかなかったこと。

恋人に、ほんとうは伝えたいことがあるのに、ほんとうは聞きたいことがあるのに、なんども言葉を飲み込むしかなかったもどかしくて、切ないきもち。

そうやって日々、言葉をのみこんでいくごとに、本当は願っているところから、どんどんと離れていってしまった。押し流されていく小舟に乗っているみたいに、気づいたら自分ではどうすることもできいところに流されていて途方に暮れたような気持ちを、いつもかみしめていた。


ラジオから流れてくる、アデルのこのうたを聴きながら、そんなことを思い出していた。


「こんなふうにすれば、きっと、もうすこしだけうまく気持ちが伝えられるようになるよ」

今は、そんなことをどこかのだれかに向かって、いっしょうけんめい話しているけれど、その自分の懸命さに笑いがこぼれる。わたしが、知りたかっただけだったんだ。そして、なにか「いい方法があるよ」みたいに語ってしまうことに、ちょっとつまらなさも感じてしまう。だいじななにかが、こぼれ落ちていくような残念さ。どっぷりと、その味わいを堪能することだって、なにかとても豊潤なものを含んでいるようにも思う。

ああ、あれだ。
先に、ミステリーの結末を読んでおくようなかんじ。とか、
ゲームの攻略本を読んで、それをやるみたいなかんじ、とか。
自力でたどりつくそのプロセスそのものにしかない、よろこび。

当時は、いつもなんだかたいへんだって感じていたけれど、でも、その苦い苦い、そして甘い日々が、今のわたしの土台にあることを、なつかしく、愛おしく思い出している。今のおだやかな日々も、とてもとても愛しているけれど、あの荒ぶる自分の感情をどうにかやり過ごそうとしていた時間も愛している。

「甘い痛み」ということばを、先日書いたロバートはよく使っていた。
どういう意味なんだろうかってずっとわからなかったけれど、もしかしたらこんなかんじなのかも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?