32歳で急性白血病になりました。
この文章を書いているのは2017年2月下旬です。現在は一通りの治療を終え退院し、通院しながらおよそ1年後の社会復帰に向けてリハビリを行っています。家での日常生活は送れますが、通院以外の外出禁止、食事制限あり(生物や刺激物禁)という状況です。
体重は入院前と比べて13kg程減ったのでひょろひょろです。体力(筋力)も相当落ちてしまい、座り込んだ状態から手をつかずに立てない感じですが、普通に歩くことはできます。髪の毛はあと2ヶ月くらいで再生する予定。
※以下は僕個人の体験談です。病気のこと、治療方法、治療期間などは個人差や医療機関に依るため、あくまで僕の場合はこうだったという前提でお読みください。
発病
2016年4月中旬に発病しました。自覚症状は倦怠感と発熱のみ。倦怠感は3月下旬から続いていましたが、年度末の忙しさによるものと思ってあまり気にしていませんでした。発熱が続くようになったのが4月の上旬から。なんとなく風邪ではないなと思っていたので、近くの内科に何度か通い、血液検査を行いました。その結果、異常値が見つかり直ぐに血液内科のある病院へ紹介状を書いてもらうことに。
向かった病院で改めて血液検査をした結果、急性白血病という診断でした。
妻にも同席してもらっていましたが、あの時の衝撃は忘れられません。やっとの思いで口から出た言葉が「治るんでしょうか…?」。それに対する医者の返答は「治ります。時間はかかりますが十分に完治が狙えます。」といったものでした。僕はその言葉を信じ、まだ現実を受け入れられないながらも治療に向かう決意をしました。両親に電話で伝えた時は声が震えました。
その後、骨髄検査を行い、正式な病名は「フィラデルフィア染色体陽性急性リンパ性白血病」となりました。白血病にも急性、慢性、骨髄性、リンパ性など、いろいろ種類があるようです。
治療の流れ
白血病の種類によって治療の行程(プロトコル)が定められており、基本的にはそれに沿って治療していくことになりました。白血病は簡単に言うと血液のがんなので、いわゆる外科的な手術は行なえません。そのため、治療は主に化学療法(抗がん剤)でした。
主な流れは以下のとおりです。
1. その時の状態に合わせた抗がん剤を数日間投与(がん細胞が減らなければ抗がん剤変更などの対処)
2. 副作用が出てくれば対処(吐き気、発熱、口内炎、脱毛など)
3. 免疫力を回復させる薬を投与(抗がん剤を使うことで免疫力が著しく落ちるため)
4. 免疫力が回復すれば一時退院
これを1クール(僕の場合は約1ヶ月の入院でした)として、それを4クール行いました。一時退院してから次の入院までの数週間は通院での対応となるため、期間としては6ヶ月ほどかかりました。
造血幹細胞移植(骨髄移植)を検討
幸いにも、3クールの化学療法を終えた時点で、血液の内部からも、血液を造る骨髄からも、骨髄に司令を出す遺伝子からも白血病細胞が消え、寛解の状態になりました。
しかし、フィラデルフィア染色体という遺伝子異常があるため、再発の可能性が高く、究極の治療と呼ばれる骨髄移植を行う必要がありました。
簡単に言うと、血液を造る細胞を健康なドナーから移植し、今まであった自分の血を造る細胞をすべて置き換えてしまおうという感じです。これにより、例えば血液型も変わり、今まで持っていた自分の免疫力もすべて無くなります。
この治療はリスクが高く、セカンドオピニオンで話を聞いても、命の危険を伴うものという説明でした。僕は移植せずに完治する方法を調べていましたが、移植しないで完治はほぼ不可能ということを知り、相当悩みましたが移植をすることにしました。それが2016年10月頃の話です。
非常に重い選択ですが、簡単に言うと以下の2択です。
・移植をすれば完治が狙えるが、場合によると年を越せない可能性がある
・移植をしなくても数年間は生きられると思うが、再発するとかなり危険
怖かったですが、やはり完治させることが目標というか絶対条件に変わりないので、移植を決意しました。
ハプロ移植を行う
骨髄移植と言ってもいろいろな方法があり、最終的に僕が選択したものは「ハプロ移植」と呼ばれる方法です。ドナーは姉にお願いしました。なぜハプロ移植を選んだのかについては、結果的にそれしか選択肢が残らなかったということもありますが、やはり身内がドナーになってくれる心強さと安心感がありました。僕と姉は血液型が同じなので、そこも変わらずに済みました。
移植が決まってからは大きな病院へ転院し、諸々の検査や準備を行い、11月下旬から前処置(抗がん剤や放射線、免疫抑制剤を投与して自身の免疫力を無くす)が始まりました。
その後、無事に移植ができ、移植から10日程で生着(ドナー細胞が新しく血液を造り始める)しました。この時の感動は忘れられません。よく、生着した日から生まれ変わるという話を聞いていたので、生着日は僕にとっての第二の誕生日です。性格や外見は変わりませんが、体内の細胞は遺伝子レベルで新しくなりました。
移植後の状態
生着してからは徐々に血液の細胞も増え始め、1週間程で白血球は基準値に戻りました。ただし、免疫抑制剤を使用している関係で免疫力は無い状態なので、感染症やGVHD(拒絶反応)に細心の注意を払う状態がしばらく続きます。
結果的に、最も懸念していたGVHDはそれ程現れず、多少の発疹と発熱くらいで済みました。その代わり、ウイルス感染がいくつかあり、特に出血性の膀胱炎になったことが辛かったです。2017年1月の1ヶ月間はひたすら膀胱炎の激痛との戦いでした…。酷いときは1日にトイレに行く回数が50回を超えます。そうなるともう自力でトイレに行くことも困難になり、なりふり構わず尿取りパッドを装着して対処していました。ただ、それでも重症と呼ぶところまでは進行せず、次第に症状が軽くなっていったのが幸いでした。
そういえば、生まれて初めて年越しを病院で過ごしましたが、あれはツライ。
退院
2月に入ってからは無菌室から一般病棟に移り、まだ残っているウイルスの対処や感染症の治療、諸々の検査などを繰り返す毎日。そしてようやく、通院で対処できる状態まで回復し、退院する運びとなりました。
点滴をするために、11月から首にCV(中心静脈カテーテル)を挿れていたのですが、3ヶ月振りに開放されました。
帰宅した瞬間は「ちゃんと帰って来れた!」という思いで胸がいっぱいになりましたが、案の定、飼い猫には警戒されまくって軽くショックでした笑。
家では一人部屋(猫が出入りしない部屋)で寝るようにしたり、事ある毎に手洗いうがいをしたり、頻繁に手に触れるもの(例えばスマホやリモコン、ドアノブや電気のスイッチなど)を消毒したりと何かと大変ですが、妻のサポートのおかげで何とかやれています。というか、僕自信はあまり動けないのでほとんど助けてもらってます。
特に、食事制限がある中でいろいろ調べながらご飯を作ってくれることが嬉しいです。感謝してもしきれません。
まだ退院からそれ程日は経っていませんが、退院する前より体調も良く、食欲も戻ってきているので、やっぱり家が一番です!我が家最高。
今後について
週2回の通院が1年程続く予定です。通院以外の外出ができるようになるのは半年後くらいかなと思っています。社会復帰は冒頭にも書いたとおり、やはり1年後くらいと思われます。体調が戻ったとしても、移植した以上は、体力や免疫力が正常に戻るのにそれくらいの期間を要するようです。
ただし、家でもできることはたくさんあるので、やりたいこと、できることを一つずつこなして行きたいと思います。
発病した時は頭が真っ白になりましたが、ここまで回復できたのはほぼ毎日病院に来てくれた妻、全面的にサポートしてくれた両親、ドナーになってくれた姉、応援し続けてくれた親族や友人、会社の方々、そして主治医や看護師の方々など、皆さまのおかげです。ありがとうございます!
これから先、少しでも早く社会復帰して元気な姿を見せることで恩返しして行きます。
最後に
今回は病気のことについてざっくりと書きました。今日まで病名はごく身近な人にしか伝えられていませんでしたが、正式に完治の診断が出るまで、これから先数年間はこの病気と共に生きていくことになるため、ひとまず移植して退院できたこのタイミングで告知する決意をしました。
次回からは、副作用のこと、移植のこと、入院中に買ってよかった物のこと、などについてもう少し詳しく書けたらと思います。
この文章はここまでです。最後までお読みいただきありがとうございます。もしよければ購入ボタンからご支援いただけると励みになります!よろしくお願いします。
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