情熱を持ってつながり合うことが子どもの育つ環境を作っていく。

 子どもは大人の心をすぐ見抜く。 

 それがチームコーディネーターとして地域の町クラブに関わり、私があらためて学んだことだ。4月にジュニアの町クラブと契約した。大きな目的は、指導者の育成。はじめはそれを行いながら選手の成長を促していくつもりだったので、自分が直接指導することは全く考えていなかった。

 でも、卒業間際の6年生、現中学1年生の1DAY大会を視察に行くと、指導レベルが想像以上に低かった。そこで、指導のデモンストレーションが必要だと感じ、大学卒業以来20年ぶりに現場の介入をその場で決め、予選の3試合から選手の指導を行った。いきなり、その3試合をどうプランニングするかが問われた形となったのだ。詳しくは、後日書いたブログを見てほしい。それが3月3日のことだった。

 私は考えを修正する必要があった。この町クラブの指導者たちが私の目指すサッカー指導の知識とある程度の経験を積むまでは現場に立たなければならないだろう、と。百聞は一見に如かず。契約後、初めての練習は「サッカーの指導がどのように行われるのか」を見てもらった方が早いと思った。東京では様々なサッカー講習会があり、海外で指導経験のある指導者たちのサッカー指導を目にする機会が結構ある。とはいえ、そこに参加するのは、意識高めの一部の指導者だけ。ほとんどの指導者たちは毎回の実務に追われ、そういった講習会に参加しない、あるいは参加できないのが現実なのだ。

 実は、この町クラブと契約した理由がもう一つある。契約前、ある問題が起こり、クラブ崩壊の危機に陥っていた。正直、今もその火種はくすぶっている。ただ、そういうクラブを立て直し、地域に必要とされる存在にまでにすることができたら日本の町クラブの在り方に一石を投じられるのではないか、自分にとっても大きな財産になるのではないかと、私から代表に契約の話を持ちかけた。

 これまでジュニアサッカーを中心とした雑誌やWEBサイト、サッカーやスポーツ関連の書籍制作にたずさわり、指導に関する在り方やノウハウが自分の頭の中には明確に体系化されて整理されていたので、日本の町クラブでアウトプットしたいと心のどこかで思っていた。そこで、その町クラブの代表に話をし、指導者全員に対してその思いをプレゼンして全員に同意をもらった上での活動開始だった。

 初めての練習日、私は4年生以下の選手から手をつけた。なぜならクラブとしての問題を引きずったままの5・6年生は、担当コーチとの関係がまだ不安定だったように感じたからだ。その土台が築けるまでは、私が介入するのはバランスを崩す危険性があると判断して見守ることにした。そして、4年生以下に関わることにしたもう一つの理由がある。それは4年生が1年後このクラブを担う存在になるからだ。この1年間でサッカー選手としての土台を作り、5・6年生の担当コーチにバトンを渡すことができれば、次につなげられる。

 そういう諸々の思いの上で、練習参加の初日は私が指導のデモンストレーションを行う形でスタートを切った。選手たちにとっては、これまで経験したことにないトレーニングだったと思う。ウォーミングアップから次々と条件を変えられ、一つの条件に慣れる頃にはまた違う条件に切り替わり、また考えることが求められる。メイントレーニングでは対人がいて複数のゴールがあったり、ゴールの位置が斜めになっていたり、走るのを禁止されたり、とにかく「認知-判断-実行」の連続をしなければならない。私から選手への要求は「周囲の状況を把握すること」、「自分がどのプレーを選択すべきかを考えて答えること」の繰り返しだった。

 でも、練習終わりの選手たちの私に対する眼差しは熱いものがあった。

 それは、トレーニングの内容が珍しかったからではない。私から様々なことを問いかけられることで「サッカーというスポーツがどういうものなのか」、「サッカーをどうプレーすればいいのか」を彼らなりに理解できたからだ。誤解を恐れずに言えば、子どもにとっては誰がコーチなのかは関係ない。重要なことは、トレーニングがおもしろいかおもしろくないか、それだけのこと。選手にとっての評価基準はそれが大部分を占める。どうやら私は4年生以下の選手たちに合格点はもらえたようだった。その日から月1〜2回のペースで練習に顔を出しているが、彼らは私が発する言葉に真剣に耳を傾けてくれるし、日を追うごとに信頼関係が深まっているのを感じている。

 ただ、2回目の練習だけはうまくいかなかった。しかし、結果的にそれが町クラブに関わる根幹となるものに気づかせてくれるキッカケとなった。その5月の練習日は気温が高く、集中力が保ちにくい条件下ではあった。今振り返ってもトレーニングの内容が悪かったとも思えない。でも、選手たちは私の言うことがどこか上の空だった。

 私は「なぜ練習がうまくいかなかったのか」が最近までわからなかった。そのことに気づくキッカケとなったのは、8月に参加した合宿だった。私は参加しなくてもいい立場ではあったが、6年生の様子を観察したかった。6年生になると、土曜日も試合が多いから彼らのプレーする姿、コーチとの関係などを見る機会が作れず、ずっと気になっていた。

 この合宿に参加したもう一つの理由は、サポートに来てくださるお父さんと交流をしたかったからだ。契約前にクラブでは問題があり、先延ばしにしていたが、6年生や保護者との信頼関係はどこかで築かなければと思っていたので、むしろ私の参加を受け入れてくれた代表には感謝しかなかった。この2泊3日の合宿はいい思い出と共に、私の意識を変えてくれたいい機会となった。

 合宿中も変わらず、3・4年生のトレーニングを中心に見ていた。隣では、1・2年生の選手たちが一生懸命に走り回っていたので、それをのぞくのも楽しかったが、6年生と担当コーチがトレーニングしている様子を見られたのが何よりの収穫だった。数ヶ月前に比べると、6年生は精神的に大人になり、下級生のことまでしっかり考えられるようになっていた。

 合宿2日目、「6年生×大人」で試合をすることになった。私は合宿が始まる3日前に捻挫をしていたが、彼らと一緒にプレーすることにした。それは共にプレーすることが最も心の距離を縮められると思ったからだ。ただ、ケガでほとんど動くことができなかったので、最後尾のセンターバックの位置に入り、6年生の攻撃をポジショニングだけで処理することにした。

 ただその一方で、CFの選手には小声でちょこちょことアドバイスを送り続けていた。もちろん、その声は周囲に聞こえていない。そして、一見6年生の選手たちは自分たちが攻めているようでも最終的なドリブルやパス、シュートのコースは大部分が限定されていたと思う。それはそのコースに誘導していたからだ。私も間合いを詰めるスピードや距離は瞬間的に力を出してプレーした。そういうことがあったからなのか、帰りのサービスエリアでは6年生のあるグループが私に話しかけてきた。この町クラブに関わり始めて半年が経つが、6年生の選手から声をかけてきたことは初めてのことだった。だから、私にとっては合宿一番の思い出はこの出来事だった。

 合宿後、お盆で妻の田舎で過ごしてからは、2つの大きな全国規模の大会を取材した。肉体的にもハードなスケジュールをこなし、夢中でサッカーに向き合う8月中にふと気づいたのは「人と関わり合う情熱」だった。取材中は日本人だけでなく、海外の指導者とも真剣にぶつかり合う。 毎日、様々な選手、指導者、保護者、関係者のサッカー熱を浴びているうち、「なぜ6年生の私に対する態度が変わったのか」、そして「2度目の練習をうまく進められなかったのか」がわかった。

 それは、私がそれまで指導者を通して選手を育成し、クラブを変えられたらいいと自らのサッカーに対する情熱をはっきりとダイレクトに伝えていなかったからだ。受け取る側、つまり選手にとっては私が本気に映らなかったのだ。あの日、特に4年生の選手たちは私の発する熱が足りないことに気づいていた。だから、彼らはトレーニングに気が乗らなかったのだ。

 実は、私自身、数年ほど公私にうまくいかないことが多々あった。それは、人に対して疲れていたからだった。小さい頃から「お前は大丈夫だろ」といろんなことを丸投げされることが多い中で、それを当たり前のように仕事もプライベートもこなしてはいたが、心のどこかで相手に対して「なぜそんなこともできないのか」「なぜそんなこともわからないのか」「なぜ楽をしようとするのか」と思い続け、ぷっつりと心の糸が切れていた。そして、人に対して諦めるようになってしまっていた。

 だが、そのことが負のスパイラルをより加速させる原因になっていたことに、最近ようやく気がついた。理屈や理論は大切なことだ。なぜなら人は理性を働かせなければ冷静に物事を判断できないから。でも、人はそれに相反するように感情的に動く、一種の動物的な行動も備えておかなければならないとも思う。以降、契約する町クラブの指導者たちに対しても、理性を働かせるよりも感情を表に出して話すようにしている。そこから彼らも随分変わってきたし、子どもたちは私のことをすっかりコーチと呼ぶようになった。子どもは小手先ではだませない。大人の心の奥底にあるものを見抜く。

 そして、今、私は保護者と向き合っている。数週間後、4年生を対象にした保護者会を開く予定だ。契約した時点ではクラブが様々な問題を抱えていたこともあり、保護者と接点を持つ機会が随分遅れてしまったが、あの選手たちのお母さんお父さんだからきっと理解してくれると信じている。 私も今は現場指導者の一員だという自負もある。

 仕事も様々な人と情熱を持ってつながり合い、行動を起こすことで少しずつ好転し始めた。本当に便利な時代だ。十数年前は連絡先を調べることから始まり、電話をかけて企画書を送って再度取材のアポイントをとっていたが、昨今はSNS上でそれができてしまう。それまでは見知らぬ間柄でもコメントをきっかけにつながりを持ち、リアルに会ったりSNS上で話ができてしまう。

 人とのつながりも多様化している。

 だからこそ自分さえ人と関わることを面倒くさがらなければ、どこまでも広げていける。私は一回り以上年齢の離れた編集者たちと、ジュニアサッカー界で新たな試みを企んでいる。これも4月から彼ら編集者たちに情熱をもって接し、会うたびにコミュニケーションをとり続けてきたからだ。

 私は指導現場から、メディアの現場からちょっとずつ「子どもが育つ環境の改革を図ろう」と「人とのつながり」をキーファクターとして粛々と行動を起こしてきた。それが少しずつだが、芽吹きつつある。ここが正念場だ。人を信頼し、人とつながり、人と交わり合いながら、子どもが喜怒哀楽をたくさん出せる環境を作っていけたらと思う。知恵と勇気で粘り強く夢中で一つずつ勝負していけば、きっと光が射すと信じて。行動あるのみだ。

(文責・写真/木之下潤)


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チームコーディネーター流「町クラブ革命」×「地域創生」

サッカーのジュニア年代を対象とした町クラブを改革していく「チームコーディネーター」という、誰もやったことのない新たな仕事を創造する挑戦を始めた。このマガジンは、そこに関わる指導者、保護者に私の様々な考えや感じたことを伝える一つのツールである。
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