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僕たちはデスノートを持っている

えるしってるか
しにがみは
りんごしかたべない

週刊少年ジャンプでデスノート(DEATH NOTE)が連載されていた当時、僕は高校生だった。
顔と名前が分かる相手の名前を書き込むだけで、その人を殺すことができるデスノートを手に入れた、強い正義感を持つ主人公の夜神月(ライト)。
『犯罪者のいない世界にしたい』
そんな真っ直ぐな気持ちを胸に、救世主キラを名乗って次々と悪人の名前をノートに書き込んで殺していくライトを見て、彼にデスノートを与えた死神のリュークは、「人間って面白!」と笑ってリンゴを齧った。

『犯罪者がいなくなれば世界は良くなる』
っていう思考は分かりやすいラスボスっぽさがあるし、ありきたりと言えばありきたりだと思う。
だけど、その手段としてのデスノートの存在はお手軽感がそこらのラスボスの比較にならなかった。
名前と顔が分かってれば、どれだけ距離が離れていてもさっくり制裁でインスタント心臓麻痺。
後にも先にも、これ以上は無いって胸張って言えるレベルのチート能力だと思う。
ただ、強大な力を正義の名の下に振るいすぎたライトが最終的には悪として殺されるという、ある種予定調和的なラストを迎えて、漫画デスノートは2006年に完結した。

今から考えると、デスノートは社会現象と言ってもいい流行り方をしたと思う。
単行本は学校でめちゃくちゃに回し読みされていたし、ワンピースやナルトすら読んでいなかったマガジン派の僕も、デスノートだけは単行本を友達から借りて読んでいた。
日頃漫画なんて読まない人たちですらなぜかデスノートは読んでいたし、漫画を読んでいなくても、アニメにノベライズに実写映画にと展開していたこともあって、少なくともデスノートを知らずに生きるのは難しかったと思う。
とにかく、面白い作品だった。


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デスノートの連載終了から13年が経った。
今の10代はデスノートなんてほぼ知らないかもしれない。
デスノートの連載が終わった翌年に世界初のスマートフォンとして発売されたiPhoneも、ついこの間11が発売された。
今では老若男女問わず多くの人がスマホを持つようになっていて、特に若い世代、10代20代の娯楽の中心はSNSやアプリゲームみたいな、スマホを使ったコンテンツに移った。
たかだか13年前だけど、当時と比べて生活はずっと便利になったと思う。

ただ当たり前だけど、今でも犯罪者はいる。
ついこの間もあおり運転をした人が逮捕されていた。
善良な市民を危険に晒し、暴力を振るうその悪人の様子はすぐさまTwitterで拡散された。
動画を見た人々は憤り、その悪人に対する否定的な言葉と共にその動画を拡散した。
望みはただ1つ。

「あの悪人に罰を」

すぐにその人の名前や年齢、職業が特定され、人相と共に日本中に『悪人』として知れ渡ることとなった。
悪に対して、『社会的な死』という罰を与えることに見事成功したんだ。
数日後、その悪人は逮捕された。このあとは日本の法律で裁かれるんだろう。
悪人は社会的に殺され、その上でさらに法でも裁かれる。
ざまあみろ、悪いことをするからだ。
正義の勝利だ、本当に素晴らしい。
これ以上ない終わり方だハッピーエンドだ。

デスノートが終わって13年。
ライトが望んだ犯罪者のいない世界は訪れていないけれど、善人は個人の裁量で悪人を裁けるようになった。
救世主キラのように。
もちろん命を奪うことはできないけど、

『社会的な死』

を与えることは容易になった。
悪人の顔と名前が分かればそれをSNSに書き込めばむだけ。
あとは志を同じくする仲間たちに任せればいい。
晒して叩いて個人情報を特定してくれる。
悪人の情報を共有して、この社会では生きていけないようにしてやろう。
後ろ指を指し続けろあいつは悪人だ。
生まれはどこだ?
職場はどこだ?
学歴は?
結婚はしてるのか?
子供はいるのか?
親はどんな仕事をしていたんだ?
兄弟はどこで何をしている?
ああ恐ろしい恐ろしい。彼らには悪人と同じ汚い血が流れている。
子供まで差別されるのはかわいそうだけど、一応名前を調べよう。
どんな学校に通っている?
子供のSNSのアカウントは分かるか?
学校でイジメなんかはしていないか?
裏アカで事件のことについて何か話していないか?
調べよう調べよう。
家族が犯罪を犯したのに、もしも反省していないようなら大ごとだ。
正義の名の下に思い知らせないといけない。
大丈夫大丈夫、昔からやってきたことだ。
『村八分』を平気でしていた日本人の血が僕たちには流れている。
さあさその血を呼び覚ませ。
『ネット私刑(リンチ)』なんて揶揄されることもあるけど、知ったことではない。
そこ退けそこ退け、我らは正義の新世界の神だ。
横槍を入れられたら言ってやろう。

「犯罪者を叩いて何が悪い?」

デスノートを読んでいた当時、いつか現実の日本に救世主キラのような存在が何千人何万人も現れるなんてことを、僕は考えもしなかった。
でも、たった13年で社会はキラで溢れかえったんだ。
現実は軽々と創作を超えるんだなと思った。
2019年を生きるキラたちは、見える範囲ならどんな些細な悪事も見逃さない。
悪事を働く現場を現代版のデスノートについている高性能のカメラで撮影して、世界に向けて発信。
それだけで社会的に抹殺できる。

リュークが見ていたら、やっぱり「人間って面白!」って言ってそうだし、実際僕もそう思わなくはない。
もちろん、そもそも悪いことをした人が悪いんだから、その罪はしっかりと裁かれるべきだ。
だけど僕個人としては、あくまでも日本は法治国家なんだから、犯した罪は、
『今ある法の規則に則って、それ以上にも以下にもならないように裁かれるべき』
だと思う。
だからこそ、ネット私刑によって過度に与えられる『社会的な制裁』に対しては、いきすぎだという気持ちを捨てられない。

でも一方で、ネット死刑は絶対に無くならないと確信もしている。
犯罪者の個人情報への配慮の仕方では、今や個人とメディアの間ではほとんど差がないし、仮にそこに対して何か納得のいく境目が明らかにされたとしても、それでも無くならないと思っている。
だって、人は一度手にした力を手放せないから。

ただ、少なくともそれだけの力を持つことを、自覚はしないといけないとは思う。
今僕たちは、全員がデスノートを持っていて、一人ひとりが人間の姿のまま新世界の神になろうとしているんだ。
それなら、神なりの振る舞いをしないといけない。
正しく罪を判断して、正しく裁かなければいけない。

一時の感情や人の意見に流されて罪を裁く前に、一度立ち止まって考える。

これから先、少しでも多くの神たちがそうしてくれたら、もっと身の丈に合った社会になるんじゃないかなと、僕は思う。


ここまで長々と読んでいただきありがとうございました。
最後に、デスノートの中でリュークがライトに告げたセリフを引用して、この面白くもないダラダラとしと記事を終わりにします。

『デスノートを使った人間が天国や地獄に行けると思うな』

では、また。

#こんな社会だったらいいな
#漫画
#デスノート
#新世界の神になる
#エッセイ

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