タイピングセラピー(2)

あの衝動は、もう繰り返さなかった。

時刻は23:30をまわる。冷えた両手をホットココアで温めながら、ふと思い立ち昔好きだったミュージシャンの曲を再生してみる。引き寄せられるように指が勝手に走る。検索すると、なんとその次の日に大阪でライヴをするというのだ。

行ってみよう。

心身の不具合から仕事がまったく手につかず目も当てられない毎日を過ごしていたが、そんな状況を打破できるかもしれない。同じ場所にいたって1mmも現状は変わらない。

原稿仕事が残っている。されど構うもんか。平日に明日のことも気にせずライブに行ける。それが会社に帰属しない無職の醍醐味だ。そんな自由を遠慮して手放してしまっては、この生活の意味がない。どうせなら自由な貧乏がいい。かしこまって家に居たって軌道をずれて出口の見えなくなってしまった原稿を前にすれば指の一本も動きやしないだろう。そんなふうに自分に言い訳をする。飛び出すスケールが何よりも大事だ。夕方は普段は寝ている時間で眠いけど、せっかくだし外に出ようと決める。

紆余曲折あり、チケットを手に大阪某所のライブ会場へ向かう。

前にも一度だけライブに足を運んだことだけは鮮明に覚えている。それはまだ少年だった僕が初めて経験する大きなコンサート体験だった。斜め上の2階席から見下ろしていた。強い刺激にのぼせてしまい、3日ほど寝込んでしまったことを記憶している。

というのも、僕はそのアーティストを強くアイドル視していて、さもS極とN極が引き合うように結ばれる妄想だって幾度となくシュミレーションしてきた。阪急電車で。東京のビッグアーティストがどう間違ったら阪急京都線のしかも準急を利用することになるのか、いま思い返せばリアリティが無い全く意味不明の思考回路だが、うつつを抜かした男子校の14歳相手に論理は通じない。記憶と記憶の間を辿っても全く意味不明だ。いかにもカロリーの高い恋だが、今では時効だと思って阿保だなと笑って許して欲しい。――そんな当時の僕が、はじめてそのアーティストのライブに行く。まさに衝動だった。

そんな日から、既に10年の月日が経っていることに気付く。そういえばあの頃の僕は中学生だったし、みんな4GBとか8GBのSONY のウォークマンを大切に使っていた。律儀にポチポチボタンを押してメールを打っていたし、Twitterだって今ほど殺気立ってなくて皆こぞって「ひまなう」とか書いてたことを思いだす。

手のひらのiPhone が僕に時刻を伝える。まだあと30分も余裕があるらしい。連れ合いがおらず、やることもないのでそぞろに本当はそうじゃないのに退屈なふりをして時間をやり過ごす。そうこうしている間に客電が落ちる。

始まった。

雲より高い星のような存在だったはずの彼女がすぐ傍で歌っている。髪の毛の艶が目視できてしまうほど近くに距離を感じる。

本当のことに気付いてしまった。

そのまるで恋のような衝動に再現性は無かったのだ。その日のライブはあの頃と違い、ビタミン剤を飲み干すようにあっさりと終わってしまったのである。

クラブだったらお酒が飲めたのにな。そんな風に思ってしまった自分が悲しい。「明日はライブに行ってしまおう」と決断できる思い切りとささやかな経済力こそついたが、同時に開演直前に無様に背中を丸めて喫煙所を探し彷徨うつまらない大人になってしまった。そういえば、あの時はあんなに遠かったライブ会場もすぐ近くに感じる。ナビタイムに助けられることさえなく簡単に辿りついた。もうアルコールに頼らなければ音に潜れないのかもしれない。

気が付いたら引き返せないほどの距離が隔たっていた。もう大人になってしまったのだ。恋をしたいけど、もうアンテナが届かない。手を伸ばしてももう届かないのだ。

文章を書くことで、水面下の痛みが改めて地上に姿を現す。いま気づくのは、恋の伴わない痛みは冷たく鋭いということ。ここまで1000字と500文字弱。少ないボリュームだが、書いてしまった。形にしてしまった以上はもう気にしないふりはできない。まして忘れてしまえるほど僕は計算高くない。

時刻は2:30AM――だったのだが、推敲するうちに時間がハイスピードで過ぎて大幅に後ろに倒れる。心の隙間を解明したところで、それを埋める手段を僕はまだ知らない。きっと仕事をすればよいのだけれど。

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