ヒトの定義はコトバなのか? 英語がダメならコケにして, 頭が悪けりゃレイプする?

じゃあ聞くけど、どこからが人間なんだ?

ミス・アメリカが英語力の低さを理由にアジアの代表らに差別的な扱いをしたとしてニュースになりましたね。英米中心主義に対する批判が多く、【アメリカ vs. その他の世界】 という対立軸を掲げたコメントが目立ちました。

しかし、問題の膿は本当にそこなのでしょうか?

全ての言語が平等の世界が実現すれば、本当に世界はもっと良くなる?

2017年春からライターの真似事をするようになってから、言語にまつわる諸問題には以前に増して敏感になりました。要は「背が伸びるにつれて伝えたいことも増えてった」わけです。

今回の事を通じて、世界と日本の現状を書くことで全体を整理してみたいと思います。

まさかの7章立て。いや何かごめんなさい。
長いけど字数で言うなら6000字弱と全然平気なボリュームです。

1~3の前半部は言葉について、4~7の後半部はそこから波及して人は他人の何を評価するか、といった話になっています。
どうぞご贔屓に。


1. 英語とかそれ以前にさ

今回大絶賛炎上中のサラ・ローズ・サマーズさん。彼女は不幸にも「英語こそが世界の中心言語だ」という狭い視野しか持ち合わせていなかったことが原因で、このような差別的な失言を犯してしまった。でもそういうのは良くない。今回騒動を要約するとそんな具合でしょう。

しかし、この種の差別の根底にはそもそも【言語vs. 非言語】という図式があると思います。

①「言語を扱えないなら人間に非ず」と信じる者が、
② 理解できない外国語に直面した時に、
③ 差別が生まれる!

というフローです。

今回のミス・アメリカの騒動で明るみになったのは他でもなく②→③です。言語同士に優劣が無いことを再確認し、隙あらば逆に彼女の語学力の低さを叩くためのステージとして扱われていたのですが、僕はそもそもこの氷山の根元に①「言語を扱えないなら人間に非ず」が隠れていると感じています。

2. 人を定義するのは言語なのか

つまり彼女の中で、人間を人間たらしめる要素を「言語」が大きく占めていたというわけです。でもこれ、実は歴史を振り返って見ればある種「自然な」思考考回路なんですよね。

さて、この①「言語を扱えないなら人間に非ず」に関する過去の例を2つ見てみましょう。

■過去の例(1)
バルバロイの語源は知ってますよね?

古代ギリシャ人は異民族のことを「バルバロイ」と呼びました。これは「ワケのわからない言葉を話すヤツら」というくらいの意味。ご存知、英語のbarbarian(野蛮人)の語源でもあります。"bra-bra- bra" なんて表現もここからという説が有力。

ついでに同じくギリシャで言うなら、「ロゴス」を持つことが、人間の条件とされてきました。この「ロゴス」には現在の人文学から自然科学の領域の多くが含まれていますが、もちろん言語も含まれています。

この「ロゴス」という語はlogic(=論理 )の語源だったり,  logue(=談話!)の語源だったりするわけです。

■過去の例(2)
ヒトの定義は?

先ほどのロゴスの話にも通じますが、人間の定義(しようとする試み)には言語が深く関わっていました。古来から私たちは、ヒトと動物との隔壁の正体を暴こうと皆頭を絞ります。

・ホモサピエンス(=英知人) byリンネ
・ホモルーデンス(=遊戯人) byホイジンガ
・ホモファーベル(=工作人) byベルクソン

などなど「人間の定義 大喜利」が繰り広げられる中、カッシーラの回答は "ホモ・シンボリクス" でした。

「シンボリクス」は「シンボル」を意味し、言語・神話・芸術・宗教などが含まれています。言語と、それに基づく営みこそが人間を人間たらしめるのだと考えたわけです。

現在でもヒトとサルやチンパンジーとの違いは?と聞かれると道具や、火の使用、意思疎通の有無を挙げる人は多いですね。道具を使用するチンパンジーや群れを成すサルはいます。しかし、

①人間の言語を
②完全に理解して
③発話する

ような動物は現在いまだに確認されていません。まあ人類が見落としているだけかもしれませんが。

余談かもしれませんが、世界各地では稀にオオカミやチンパンジーに育てられた子供が定期的に発見され話題になります。「喋れるか、喋れないか」「喋れるようになったか, 駄目だったか」は研究的側面からもゴシップ的な視点からも大きく注目されてきたポイントです。

――このように、古来より人を人たらしめる定義に「ことば」は往々にして欠かせない要素でした。

3. それは今も脈々と

①「言語を扱えないなら人間に非ず」に関する過去の例をいくつか紹介しました。では今はどうなのか? このアイディアが暗に、あるいは露骨に反映されている現代の例を3つ紹介します。

長くなるので見出しを付けました。以上の3つの順で書いていきます。

■現代の例(1)
脳死は人の死?

ひとつは脳死した人の扱いについてです。長きにわたり議論の決着は無論ついていません。が、結局のところ多くの国や地域の法律では脳死は人の死と判断されています。日本もまた例外ではなく、脳死した人の臓器提供が認められています。2010年には規制緩和した改正法案が全面施行。家族の承認があれば15歳未満の脳死でも臓器移植が可能に。(あ、そういや僕これセンター試験でやったわ)

脳死については所によって判定基準や深度が変わりますが、ザックリ言うとこうですよね。

【 脳死をザックリ言うと……? 】
・肉体は機能しているが、脳機能が停止している。
・生きていると言えなくもないがコミュニケーションがとれない。

これだけ提示されると、宗教や哲学の領域に迷いこんで(@_@) こ~んな感じの顔になってしまいそうです。デカルトつまんでサルトル齧って……こりゃ大変だ。「深い闇に飲まれないように精一杯」ですよ。

ひとつだけ取っ掛かりがあります。ここで注目したいのは「臓器提供」です。脳死の問題は臓器提供とセット。この2つ言葉は謂わば表と裏の背中合わせとも言えますが、だとすればこう↓↓ですよね?

  脳死:身体◎ だけど メンタル×
          vs.
待機患者:身体× だけど メンタル◎

2つ並べると相対的に比較しやすい
さらに言い換えるとこう↓↓ じゃないですか?

  脳死: 健康だが口の無い人間
         vs. 
待機患者:不健康だが口のある人間

そして、脳死患者ではなく、「口のある人間」を優先すべきだ!という意見が多いからこそ「脳死問題」の議論は始まったのではないでしょうか。

「これ要るん?!」 とオカンが言う時、何故オカンはそう聞いてきたか考えてみてください。(不謹慎なたとえで申し訳ないのですが、これが一番わかりやすいと思いました。すみません)

閑話休題。そして、結論として定められた法律は結局……?

■現代の例(2)
パラリンピックは身障者だけの祭典か?

パラリンピックにおいて、ダウン症やその他の精神障害など所謂知的障害を持つ人が参加できる競技は少ないです。

表にしてみました。(ソース:日本パラリンピック委員会

夏季パラリンピックだけで集計しても、知的障害の人にもフォーカスを当てたものは22競技中3競技のみ。

パラリンピックは概して身体的なハンデをデザインし直した場所という側面が強いと言えます。次いで活躍が期待されたのが視覚障害を持つ人達。一方で聴覚障害の方々に対しては、デフリンピック(Deaflympics)というものが用意されています。日本国内でも似たような取り組みは盛んです。

しかし知的障害のハンデをフラットにするような競技となると、現状筆者は思い浮かびません。(これ忘れてるよ!というのがあればこっそり連絡ください)

知的障害かどうか、人は傍目でどのように判断するのでしょうか?
初対面でお互いにテストの点を言い合う?まさか(たまにそういう人もいるけどさ)

やっぱり大抵は挨拶と世間話ですよね、つまりそれは――。

■現代の例(3)
認知症:Psychiatric な患者たち

引き続き Psychiatric(mental) な面での疾患や障害について。統合失調症が古くは「分裂病」と呼ばれていたように、やはり甚だしく差別的な眼差しを受け続けてきたことは間違いないです。映画で言えばほら、『カッコーの巣の上で』の世界観とか。

いまの日本で語るならば認知症の問題が大きいでしょう。多くの介護士や子供の介護者が、認知症患者をまるで人ならざる者のように虐待する事件は後を絶ちません。検索してみるとどうやら日本だけではない模様。

(例:イギリスはエディンバラにて

認知症患者への接し方は、ある種普遍的に立ちはだかる問題らしい。中でも人口の偏りと制度のほころびが大きな日本ではより顕著だということでしょう。そしてこのような疾患に多く共通するのはコミュニケーションの不全です。(例外もありますが、それはいつか別の記事で)

『アルジャーノンに花束を』は語り手の語彙や構文といった言語レベルを揺らす筆致が特徴的でしたよね。え、読んでない?!

『カッコーの巣の上で』の最後、これもやっぱり言語の問題ですよね。
あれ?見てないの?!

じゃあ話を日常にグッと寄せましょう。
電車で松葉杖の人を見かけたら座席を譲りますか?


では、同じ電車で「精神的な発作」を起こした人に、あなたは優しく声をかけられますか?忌避した経験はありませんか?

******

ここまで、言語がいかに人間のアウトラインを象ってきたのかということを、事例やデータを交えてお伝えしました。ここからの4~7章では「でもどうやったって可視化される領域(=ex. 言語)でしか人を判断しないよね」というお話です。

******

4. 見えないものを見ようとして

BUMP OF CHICKEN は言わずもがな望遠鏡に頼るわけですが、普通の人は午前2時までは待てません。まして担ぎません。重いもん、望遠鏡。

ちょっと冗談が過ぎましたが、人は他人の本質を見抜くことを怠りがち。そもそもそんなことが容易なら離婚とか採用担当とか、そうした概念は世の中に存在しえないわけで。

だからこそ人は可視化される領域で勝負しようと必死になるわけですよね。例えば『ティファニーで朝食を』のあのシーンだったり、最近で言うならキングスマンの "Manners maketh man" てな具合。返事もロクにせずに人様から多大な評価を受けたのは、それこそ藤原基央くらいですよ。

5. 「口なし」は死人に

死人に口なし、ならば口のない人間は死んでいるも同然。
こうした考えが蔓延するのが世の常なのです。

言語で可視化できるアウトプットをしていない相手は無視する。言語の扱いが自分よりも劣る人間は「殺し」ても良い。油断するとついついそんな理論に肩を預けてしまうのです。今回のミス・アメリカの騒動はもとより、何なら「彼女は頭が悪いから」まで敷衍したって構わないです。

6. 見えないものが見える?

やったじゃん藤原基央。
見えたよ、見えないものが。

人類は知恵とテクノロジーで様々な問題を克服しようとしてきました。眼鏡、車いす、今やクールな義足。プロダクト以外にもアファーマティブアクションや金銭的な支援など、制度でのフォローも官民問わず一生懸命やってきました。

しかしテクノロジーが次のフェーズにシフトしました。それは何か?それではお伺いします。今回のミス・アメリカの一連の騒動。あなたは何で知りましたか? そう、高度なモバイルと大容量の回線です。みんなの声が飛び交うようになったし、誰の声だって覗けるようになりました。

①人は他人を、目に見えるところで評価する
②往々にしてそれは言語だ

③自分より拙い言語を操るものは「殺し」てもよい
④誰の「声」にも平等に触れられるインフラ

以上のような環境が整いました。自分よりも不完全な「声」を容易に見つけることができます。

さらに言及するならこれは言語に限りませんよね。

スティーブジョブズが生まれていなければ、少年は冷蔵庫や線路に入ったって(2013年頃)誰に何も言われず平気だったはずです。「拳で」の戦った彼は(2017年)、インターネットのせいで手を叩いて嗤われることに。突きだした拳のグーは、大勢のパーを前にして敗北することになるのです。あの近大生(2018年)……はクラウドファンド頼みだから知らないけど。

もはや望遠鏡要らず。天体観測どころではなくプラネタリウム状態。しかもその星の所在は「僕しか知らない」どころではなく、誰もが知ることができるのです。

そうして知った痛みを、未だに誰か覚えているのでしょうか。

7. 構造を知ったうえで抑止するほかない

今回の騒動に限らず、批判の範囲を逸脱して人格攻撃に走る人はもう見飽きました。直近ならレペゼン青山 心の貧しさコンテストね。それはもはや差別ですよ。「差別主義者 差別」です。

さらに言うならそうした人を叩けば「差別主義者 差別 差別主義者」に陥ります。そしてさらにそうした人を過度に糾弾することは「差別主義者 差別 差別主義者 差別」に該当します。さらにそれに牙を向けるのは「差別主義者差別 差別主義者―――――(以下省略。気の済むまで繰り返して君だけの差別主義者を作り上げよう)

人間には誰にでも意地悪な気持ちがあるし、差別の対象は相対的にシフトしていきます。というのが僕の持論。こ~んな偉そうなことを書いている僕だって、善人だと胸を張って道を歩くことはできません。ゴミの分別をしてるし、寝る前の歯磨きだって欠かしませんが、それでも到底「出来た人間」だとは言い難いと自省しています。そもそもこんな記事自体、どこか斜に構えている人間の所業以外の何物でもないですし。

例えばこの記事ならココ―――

■例(1)
バルバロイの語源は知ってますよね?

古代ギリシャ人は異民族のことを「バルバロイ」と呼びました。これは「ワケのわからない言葉を話すヤツら」という意味です。ご存知、英語の……

はい。
ここを敢えて推敲しませんでした。引っかかった人も多いんじゃないでしょうか。でも僕は最初、まったく気づきませんでした。

この【語源は知っていますよね?】という表現の裏には「当然これくらいは」という筋肉質な力学が無意識に込もっているはずです。言ってしまえばこれも一種の意地悪な気持ち。大胆に書くなら差別かもしれない。驚くことに2度目の確認でようやくハッとして、この結論の章をすっかり全部書き替えています。

そうやって誰もが自省的に軌道修正を続ける。それより他に方法はないんじゃないかな。そう思います。

以上です。

では最後に、「天体観測」の1節を紹介して〆ようと思います。




おーいえ~、あは~。


[おわり]



■スペシャル・サンクス

■同じく文章のアウトプットに関する記事


このノートが参加している募集

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

4

草加のコレクション

ここは好きなものをためておくところ
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。