セッション 観た

2018/2/2
なんなんだよこの映画は!!!!

追記 2018/2/4
観終わってからずっともやもやして、分からないことがあったんだ。
・フレッチャーはラストでアンドリューを許したのか

これがほんとに分からなくて。だってなんで指揮をしたの?
これ、いくつか考えたんだけどね。

①ドラムを聴かされて許したから最後のあの指揮をするに至った。
ーーというか指揮をする理由がこれくらいしか思い浮かばないよね。でも絶対違う気がする。

②許す許さないの次元じゃなかった。あの演奏で全部持ってかれて、指揮をすることしか頭になかった。
ーーこれも違う気がするね。

③ドラムしか見えないくらい、アンドリューを認識できないほど呑み込まれた。
ーーつまり誰が演奏していてもどうでもいい状態だったってことだね。うーんケイシー(フレッチャーの亡くなった元教え子)の件があるからこれも違う気がするね。ケイシーは下手だったけどちゃんと覚えてたし。教え子を個として見る人だったんだろう。

どれも正解じゃない気がするね。ではどの答えがしっくりくるのだろうか。って考えると、これしか思いつかない。

④どれだけ絶望を見せつけても抗うアンドリューを見て、第二のチャーリー・パーカーを生み出した!やはり自分の理論は間違ってなかった!という興奮が生まれたから
ーーわたしはこれが正解だと思う。あくまでわたしの中の正解はこれ。興奮が生まれるのは③の考えと似てるんだけど、④は「アンドリュー」を認識してるんだよね。「絶望を見せつけた生徒」=「アンドリュー」だからさ。