コミケ考③

先日のコミケ参加にて感じたことをまた書こうと思います。

音楽島のそばに、いわゆる成人向け(要はエロ)コンテンツの同人誌の島がありました。興味がてらうろうろして、面白そうなものでもあれば手に取ってみようかと思ったのですが、全くそこまでの衝動が起きませんでした。

私が勿論アンチエロ派では無く、むしろ好きなほうですが、サークルのノボリ、タペストリー、ポスターで観られる女子の「デッサンがひどすぎて作品として容認できるレベルではないもの」ばかりでした。
ズバリいいますが、デッサンが狂っているコンテンツを見せられても全く興味はわきません。いわゆる「アニメデザイン」っぽいのでしょうけど、どうみても作画崩壊しているものばっかりで、どうしてこれをコンテンツとして売る気になれるのだろうと理解に苦しみました。

ある程度のデフォルメは受け入れられるのですが、完全にその域をはみ出ている「あり得なさ過ぎる肉体デッサン」は「萎え」以外の何物でもありません。

その中でも、少しでもデッサンの良いものを探そうとしたいのですが、正直、エロ島には全くありませんでした。

すこし、思うところがあります。

実は、音楽島でも全く同じで「音楽として体のなしていないもの」が恐ろしいほどあります。私は音楽が専門で、それはデッサンなどよりも当然厳しく、果たしてそのコンテンツをその売値で本人自身喜んで買えるものなのだろうかと強く問いただしたくなるものが少なくありません。

おそらく、参加しているサークルの結構多くが「良い作品を届けるために参加している」のではなく

「買う側ではなく、売る側という『ポジション』に単に身を置きたくてサークル参加を行っている」

こう思わざるを得ません。
なので、フリー客が作品を探していても、スマホをいじり、我関せずでプレゼンに全く無頓着でいられるのではないか。こう考えると多くの辻褄の合う現象があります。

「自分が売り手である」=「買い手よりも立場が上である」

こう思っているサークル主が、サークルのステータスを得たいがために、作品クオリティに関して探究心を持たない。そして、サークルの横のつながりでは、そのステータス維持のための情報交換が主で、買い手に向けたマーケティングの考察がごっそり抜けた関係でしか無い。

こういう負の連鎖でのサークル共同体の発する「堕ちてゆくオーラ」を感じざるを得ませんでした。

当然、コミケは表現の自由をとことんまで突き詰めた素晴らしいイベントです。そういう負の部分をも含めて素晴らしいコンテンツに出会える稀有な場所だとも思います。

そういう究極のフリーマーケットといえる場所だからこそ「個人の審美眼」が大きく試されているのだとも思います。それを磨いてくれるものとなるか、美醜の区別がわからなくなる堕落への場となるか、そのおおきなマスダイナミクスも今後のサークル&一般参加者の「魂の求めるベクトル」に委ねられることになるのでしょう。

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