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OLポテサラ日記⑬

ブロッコリーが森だとしたら、じゃがいもは岩だな。これはあるときふとブロッコリーを見ながら思ったことで、完全に知性が欠如しているときの私である。仮定法の文章のなかでも、ここまでif節から論理が破綻していると読む気がなくなる。ブロッコリーは森ではない。

つらつらと書けるときのゾーン状態のようなものがちょっとだけ分かるようになってきて、書かなきゃと義務のように思った瞬間に自分でブレーキを踏むようにしている。今は書くべきでない。書きたいときに書くと、かこつけたような文章も少なくなるなぁと思う。「人生のなかでやらなきゃという感情を極力減らす」、こちらをポリシー候補に追加したい。何ごとも、やらされていることほど疲弊するものはない。

当たり前だが、やらされてきたものに良い思い出がほとんどない。早く練習終わんないかなぁと思いながら筋トレメニューをしたり、時期がきたという理由で就活を始めたり、思いがのってないまま仕事を引き受けたり。部活も就活も仕事も、もちろんやってよかったことばかりだけど、その瞬間瞬間を楽しめていなかったことはとても悔やしい。もっと工夫できたなぁと未熟だった当時の自分に嫌悪する。そうなってしまった自分の意思の弱さと、そうさせてしまっていた状況。すべてのことは自責と他責両方を考えられると理解できるまではそのバランスが不安定で極めて不健康だった。

今も、24時間やりたい100%の予定で埋められているかというと、まったくもってそうでない。こまめに掃除すること、お風呂からあがったらドライヤーで髪を乾かすこと、バランスのよい食事、それだけが独立してやりたいことではない。いや、予定ではそれくらいさらっとこなせる大人になるはずだった。自分の守りたい生活のために、まぁやるか〜と奮い立たせてやっていること、けっこう多い。えらいよ〜。

最近また新しく、ちょっとのお金でできるとっておきのごほうび時間を見つけた。パピコをお風呂につかりながら食べる、この時間が至福なのです。パピコの愛すべきところは、2本あること。1回買っちゃえば、パキッと半分にして2日分。なんなら、1本食べ終えて、まだあるやん〜と2本目に手を伸ばせること。2本食べても正味1アイスになること。好きすぎる。そしてそれを、湯船で溶かしながらちまちま食べる背徳感がたまらなく好き。

種類もいっぱいあって
グリコさん本当ありがとう〜〜である

そう思うと、たいていのことはやりたいこととやらなければならないことのどちらかで、それらが順番に支え合って日々が紡がれているのだなと思う。やりたいことのために、やらなければならないことがある。やらなければならないことを乗り越えるために、やりたいことで休憩する。生活のための家事、お風呂のためのパピコ。この偉大なる法則、気づいてしまえばシンプルだ。

結局のところ何ごともバランス、体幹きたえねば。自責と他責、生活とパピコ。どれかが多すぎても少なすぎても、って、めちゃむずかしいことみんなやってるのだと思うとそりゃあ誰だってつかれることもあるわなぁ。

東京で食べたポテサラの写真で日記のバランスとります

さぁ、今日もがんばったしパピコ食べよかな、梨とキウイどっちにしよう〜。なんだかんだ1番好きなのは定番のチョココーヒーなのだけど、期間限定たちの彩りたるや。

もし、いつかパピコにじゃがいも味が誕生したとしたら、開発者はこの日記を読んだのではないか。この仮定法は、ブロッコリーの森よりまだましだろうか。

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