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OLポテサラ日記⑰

朝5時。我々が到着したとき被害者は床に横たわっていた。部屋の電気はついているが、他人が荒らしたような形跡はないため事件性は低いと考えられる。被害者はむにゃむにゃと分けの分からないことを供述しており話にならない。捜査は切り上げられた。____これは、お風呂からあがって髪を乾かす前にちょっと扇風機に当たりながらストレッチでもしよう〜と横になり、そのまま朝を迎えたときの私である。話にならない。

と、最近読んだ岸本佐知子さんのエッセイ『ねにもつタイプ』だったらこんな感じかな…を想像して朝の出来事を書いてみる。岸本さんのエッセイは、静かに可笑しいところがとっても好きです。日々頭によぎることを掬いあげていくと、一見くだらないことも集めれば1冊の本になる。憧れます。

イラストもシュールでかわいかった〜

少し前の私は、たゆたうような、きれいでなめらかな文体にとても憧れていました。音楽みたいな文章を書きたいと。そしてある程度は統一され、文章としての正しさにも気を配っていたように思う。

でも最近は、考え方が変わってきている。(もちろん時と場合によるけれど、)私が読みたい文章を書く、そこを出発点とする度合いが強くなった気がします。面白くなければ読みたくないし、そこに文章としての正しさを求めるのは二の次になってきている。というのも、正しい文章は検索したらいくらでも出てくるけど、個人的な文章は、真似ごとをしていない限りその人だけのものになるのだなぁと気づいたからでした。

文章がうまい・うまくないというのも、捉え方は変わってきていて、というか、うまい・うまくないの基準を持ちこむのも違うかぁという感じで、その人らしい文章をそのまんま読みたいし、みんな同じ文体だったらつまんないよなぁ。とか文章について考えた文章なんて頭が痛くて私も読みとうない。ここまで書いたら消すのも違うかぁ、ほな残しとくかぁ、とだらだら書いてたらミルクボーイみたいになってきた。

今日は、和歌山市民図書館に行ってきました。サザンという特急に乗って向かったのですが、なんか座席広くていいな〜と座っていたら駅員さんに声をかけられてしまい。追加料金払ってない人は隣の車両だそうです。たまたま乗った車両が指定席用だったみたいで、座席の豪華さを疑わずのうのうと座っていた。颯爽と移動したかったところ、揺れる列車のなかでふらつきそうになりながら移動するのめちゃ恥ずかしかった。

図書館は駅と直結になっていて、1階にはスタバも併設された蔦屋書店、そして図書館は4階まで。ワークスペースもあって、仕事もできる。めっちゃ綺麗。分類も綺麗。本がいっぱいでとにかく綺麗。こういう綺麗な図書館に来るたび、ここの市民になりたくてしょうがなくなる。

本屋さんや図書館の好きなところの1つは、まだ読んでない本がこんなにもあるという景色が目の前に広がっているところ。すごいなぁエッセイや随筆だけでこんなにあるんかと棚を見上げながら首が痛くなりました。

あと、不思議なもので、本屋さんでも売っている本に、図書館のバーコードや管理番号のシールが貼られるだけでなんか別物みたいに見えるのあれなんでだろうと思います。そして、ちょっとだけ読む気が失せる。

桃のんだ

会社の先輩も来てたので、帰りは一緒にわりとまじめな話しながら帰りました。空がめっちゃ綺麗でした。

先輩と別れて、電車を乗り換えるために移動していたら、人がたくさん向かってきました。どうやら、人身事故か何かで運転見合わせとなったみたいでした。

ざわざわする出来事、ニュース。いっぱいあるけれど、こういうの哀しいことなのかおめでたいのかいつも一時的なことで、他の人がどうであれ、最後はもう自分の触れる世界線で生きていくしかない。そう思わざるを得ないときに、独りじゃないと思えることを、ちゃんと大切にしたい。と願いもこめて自分に言い聞かせるのでした。(心がざわざわしたままに書くとざわざわした文になって意味わからんくなる)

こういうときはとりあえず猫

今日も1日とても早かった。ちゃんと髪乾かしてベッドで寝よ。

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