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OLポテサラ日記⑥

「あ、ポテサラあるで」と同期がつぶやく。会社の先輩と同期とで仕事終わりに夜ごはんを食べに行った先にあったのは、「海と大地のポテトサラダ」。周りに、日記を読んでくれている人がいる心強さ。というか、海と大地はほぼ地球なんよ。美味しかったけど。

薄々気づいてはいたけれど、私の食への興味は作ることより、食べることに偏っている。たぶん、料理が好きな人が日記を書いたら、作って作りまくってレシピがたくさん記録されるはずだけれど、私の場合はほぼ思考記になる。食べることと、食について考えること。書くこと。この3つで大満足してしまっている。

それは、妹を見ていても思う。私には4つ離れた妹がいて、生息地はキッチン、息をするようにお菓子やご飯をつくりはじめる。私が食べるために作るとしたら、妹は作りたかったから作った、上手くできたか食べてみる、といった感じに見える。実家にいたときは、作る係と食べる係で役割分担していた(というか、たぶん私が勝手に食べさせてもらっていた)。

だから、美味しいものを作る人には頭があがらない。「なんだこれは」な食との出合いがあれば、私の心を癒やしてくれてありがとうのノーベル平和賞を贈りたい。料理は発明品で作品で、賞味期限のある儚さがまたとなく良い(と、それっぽいことを書いてみる)。とにかく良いのだ。そしてそれをつくることができる人は本当にすごい。

美味しいポテトサラダをつくることより、美味しいポテサラに出合うための日記にしたくなってきた(笑)もう、なんなんこれという感じだが、作らねばというプレッシャーでポテサラを嫌いになりそうである。

最近、働いている会社の社長に「中今(なかいま)」という言葉を教えてもらった。過去と未来をいつも視野に入れながら現在を見る。大切にしたい言葉だと思った。あの喫茶店で食べたような感動を家でも体験したいと始めたこの日記、美味しいポテサラが作れるようになることだけが未来ではないと最近は感じている。もう、ただの日記だし誰にも迷惑はかけないし私がポテサラの何かを背負っているわけでもなく、私が「中今」的に決めちゃえば何でもよい気がしてきた。

OLポテサラ調理日記にしなくて本当によかった。OLがポテサラについて書いていればよいという余白にとても救われる。何においても余白は大事だとこんなときにも思うなんて余白は偉大だ。

さすがにポテサラに敬意がなさすぎるかなとポテトサラダについて調べてみたら、いろいろなことが分かってきた。どうやら、日本ポテトサラダ協会というものがあるらしい。

日本ポテトサラダ協会は、ポテトサラダをきっかけに人々の「つながり」を生み出し、共に成長していく団体です。

Japan Potatosalad Association
ポテきちという名前でグッズまでできとる

ポテトサラダと共に成長していくのはよく分からないけれどなんだか楽しそうである。いやでも、Japan Potatosalad Associationはちょっとかっこよすぎるでしょ。

それからいろいろな記事を読んでいると、ポテトサラダの発祥はロシアだの、ドイツの料理だの、いろいろと出てきたので雲行きが怪しくなってくる。こちらについては次の日記にまとめます。

最後まで書くか迷ったけど、ポテきちが左手に持っとるの、スマホ?

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