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お上の居る気楽さ

物事を決める、というのは、人にとって大きな負担である。
選択肢に関する情報を集め、それぞれを選んだ場合の未来を予想し、比べ、選ばなかった選択肢を棄てる。
明日の晩ごはん、休日の行き先、目の前の商品を買うか否か、収入の得方、業務の進め方、属する社会の在り方、正しさ。
とりわけその決定が自分以外の人も巻き込むものだったり、何年、何十年も先まで影響を及ぼすものだったりするならば、尚のこと大きな負担になる。

ゆえに人は、自分の外に決め手を求める。
仲間の意見、口コミサイトのランキング、上司の意向、昔ながらの慣習、神仏の教え。
人は、自分で決める負担を軽くするために、お上や神を担ぐ。
すべての責任を負うのはとても気疲れする。
神仏の御心のままに、お上のご意向に沿って、伝統に則り、皆に倣って、物事を決める方が気楽なのである。

すべての物事を自分で一から考えて決めるのは、実務的にも無理がある。
決断を迫られる場面では大抵、それほどじっくり考える余裕はない。自分の外に決め手を適度に委ねておくのは良い方便だ。
しかし、委ねすぎるのはとても危険だ。
委ねる気楽さにあまりに慣れすぎると、元に戻れなくなる。どこまでを外に委ねるか、自分で決められなくなり、委ねていたものを自分の元に取り戻せなくなる。そうして人は、その状況を利用する者に支配される。

仲間に訊く気楽さ、ランキングを見る気楽さ、上司の居る気楽さ、伝統に則る気楽さ、君主を頂く気楽さ、神仏を仰ぐ気楽さ。
委ねられる側には、気楽さの裏の労苦も負わせている。
委ねている気楽さは常に自覚していたいものだ、と思う改元祭りの今日この頃。


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