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10,000日生きたのでnoteを始めてみた

4月の頭に、生まれて10,000日目の記念日を迎えた。
思い返せば、恥の多い生涯を送ってきたものだ。
子どもの頃には成績の良さに乗じたマウンティングに勤しんだり、公園の遊具でどん臭さを発揮して怪我をしたり。
大人になってからも、ちょうどいい言葉が見つからずに会話を気まずくしたり、酒が過ぎてわけのわからないことを口走ったり。

中学生になったくらいの頃からは、World Wide Webに生き恥を晒してきた。
最初は確か、ハンゲームのコミュニティから。高校生になる頃にモバゲータウンに移行し、mixiを経て、大学生になってからTwitterFacebookへ。
随筆的なものを垂れ流すプラットフォームの主流が移り変わる様を見ながら、恥を塗り重ねてきた。そして今、noteに至る。

人間、生きていれば恥をかく。
何かをする度に、ある程度の確率で失敗はするものだ。穴を掘って四六時中立て籠りでもしない限り、失敗して恥はかく。人に対して何か働きかけるなら尚のこと、生き恥を晒す相手は多くなる。
でもどうせ恥をかくなら、人間の豊かさに貢献するような働きかけをして堂々と恥をかきたい、と私は思う。

私は活動家だ。
人がより多くの人の立場を自分事と捉えられるよう、世の中に働きかける活動家だ。
世の中に絶対の善悪は存在しない。何が善で何が悪かという価値軸は、時と場合によって人が意思決定するものだ。願わくば、なるべく多くの人の生き様が善とされる世の中で生きていたい。
そのための手段として、他者の視点を得る対話の場づくりや対話の基礎となる"知"の価値の発信、"相手側から考える"マーケティングの支援や解説動画の普及に取り組んでいる。

1年ちょっと前からは、世の中への働きかけを強めるツールとしてWebサイトを運営してきた。

プラットフォームとしてははてなブログを使っているが、主催イベントの広報や書籍、施設の紹介を主目的に運用しているため、典型的なブログっぽい随筆的文章はほとんど載せていない。強いて言えば、開設当初1年経った際の記事くらい。
自分の価値観や思想を表すような随筆的文章はFacebookTwitterで主に垂れ流していたが、これからしばらくはnoteを試してみようと思う。
Facebookよりも長文を読みやすく、ブログサービスよりも働きかけに特化したプラットフォームだと感じている。

ここでの垂れ流しを介して私の価値観や思想に触れることで、新たな視点を得る人や考えを深める人、安心感か何かを得る人が1人でもいるならば、恥の塗り重ね甲斐があったのだろうと思える。
僅かでも世の中への働きかけを強めるツールとして、noteを活用していきたい。

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