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表現を受け容れる心地よさ

いつからか、表現全般に触れることが好きになった。

言葉による表現はもちろん、音楽、絵画、彫刻、写真、映像、身体動作など、手段によらずいろいろな表現に触れることが好きだ。表現者の意図がわかるか否かはさておき。

おそらく、さんさき坂カフェなどで芸術家と接する機会が増えたことが要因だろう。芸術家と接することで、人の思うことを表現する手段が言葉に限らないことを知った。
たくさんの考えを筋道立てて伝えるのに言葉は優れた手段だが、言葉で表せない思いや、言葉以外の手段の方が伝えやすいものごとは、世の中にたくさんある。

表現という行為は、社会で生きるヒトならではのものだ。

ヒトは、他の生物種と比べて圧倒的に大きな社会を作り、役割分担をしながら生きる生物種だ。

表現を介して人は思いや考えや知識を他者と共有し、社会を作ることができる。
表現を受け容れることで他者の立場を考えられるようになり、集合知を活かした社会づくりができるようになる。
また、時を経ても残る表現手段のおかげで、今は生きていない過去の人の知を社会に活用できるし、自分の生きていない未来の社会に現在の知を活用してもらうこともできる。

多様な表現は、ヒトの生き様の特長を象徴する行為である。

表現はまた、受け手による表現を誘いもする。

表現に接することで感情が揺さぶられ、その感情を表現したくなる。記事を読んで湧き起こった考えをツイートしたくなったり、生演奏を聴いてその場の写真をシェアしたくなったり。
表現がさらなる表現を呼び、発信者と受信者の相互作用が生まれ、さらにその周囲へと波紋が拡がる。

ちなみにこの記事も、アイリッシュ音楽の生演奏を聴いて書きたい気分が高じたことで書くことにした。

表現の連鎖によって、思いや考えや知識が洗練されつつ受け継がれる。
表現の連鎖によって、時として大人数による大きな意思や行動が生まれる。

表現が心地よい社会を繋ぐ。

表現に触れることは、他者や社会との繋がりを感じられる心地よい体験だ。
社会の一員であることを実感するとき、人は安心感を得る。
たとえ表現者の意図が完璧にはわからなかったとしても、表現に触れることは心地よい。

表現によってヒトは他者と対話する。
表現によってヒトは他者と自己を知る。
表現によってヒトは他者と合意する。

人は、個々で生きるよりも心地よく生きるために社会というシステムを作る。
より心地よく生きられるように、他者の表現を受け容れたり、自己の表現が受け容れられたりする姿勢や機会を大切にしたい。

(1枚目の写真: きゃめる 定期LIVE@THE DUBLINERS' IRISH PUB 渋谷店、'19/4/24)
(2枚目の写真: 第3回 彩 ライブ ー夏のあしおとー@小さな喫茶店homeri、'19/6/6)

■ 杉山啓の活動情報はこちら


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