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サイニック理論の『不良老人』問題

サイニック理論の未来予測はおおむね理想論的なものですが、問題意識が欠如しているわけではありません。
社会が自動制御され、競争よりも協創に比重がうつっていく反面、そうした進歩や変化を受け入れない/受け入れられない人たちが出てくるだろうとも見ています。
それが、タイトルにかかげた『不良老人』問題です。

別な言い方をすれば、昭和的な価値観やスタンスを手放せない人たちの存在ですね。
安芸高田市で起きている議会の機能不全の問題も、結局のところ、そのバリエーションなのだと思います。


安芸高田市は市長の発信力によって問題が明るみになりましたが、同じようなことは日本中の議会で起きているはず……
ただし、わたし自身はこの問題をもう少しデリケートに捉えています。

というのも、今後ますます技術革新は加速していきますから、『キャッチアップできない』ことは当たり前になると思うのです。
ましてや、『セカンド・ルネサンス』と呼ばれるほど、人類史上最も大きなパラダイム・シフトが起きているのだとすれば、全員が変化を受け入れられなくても当然。

つまり、「不良老人を更生させる=全員に時流の変化に追いついてもらう」よりも「不良老人と共生する=価値観の違う人を許容する」方が、現実的だと思うのです。
『他人を変えることはできず、変えられるのは自分だけ』という観点からも、後者のアプローチに可能性を感じます。


一方、別な視点で見るならば、時間のズレ(=時流へのスタンス)がある人同士で空間を共有(=同じ場所で生活)することに無理があるのかもしれません。
実は、同じような問題は100年前にも起きています。
ナチスドイツが押し進めたナショナリズムは、『この非常時に世代間の溝を深めるべきではなく、国家としてまとまらなければならない!』という論理に裏打ちされていました。
つまり、違いを力づくで解消しようとすれば、おかしなことになってしまうのです。

もしかしたら、アーリー・アダプター同士で固まり、ラガード同士で集えば、いさかいの種が減るのかもしれません。
もちろん、それはそれで別の問題が生まれそうですが…… 😊
ともあれ、ひとまずは「このあたりに問題があるよ」という意味のピン留めです。


そろっていることは美しく、違っていることはおもしろい

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