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【5】論文を書こう

 さて、「学会発表」で自分の研究をアピールしたら、次のステップは「論文投稿」だ。

 前回、「学会発表」は会員になれば誰でもできる、と書いたが、多くの場合、ここまでは発表内容の是非を問うような審査のプロセスがない(なので、中には怪しげな発表もある(笑))。
 そして、発表は基本、その場限りのものなので、後にも残らない。

 後に残らないと、せっかくの発見も、「人類の英知の殻」を広げることができない。
 そこで必要になるのが「論文」、いわゆる「査読つきの論文」「原著論文」というものだ。

 『動物のお医者さん』には、大学院生の菱沼さんが論文を書いているエピソードがふたつある。
 ひとつは博士論文に必要とされる3本の論文を書こうとして、その内容が海外の研究者に先を越されていないか、一喜一憂するエピソード。
 もうひとつは、書いて投稿した後、査読の返事を待っているエピソードだ。
 後者の回のラストでは、何ヶ月も経って、読みにくい手書きの英語でコメントの入った論文が戻ってきて、解読してみると、論文がどうやらアクセプトされたらしいことがやっとわかる。
 おそらく、多くの人が手に取ることのできる媒体の中で、査読つきの論文に関する描写として、もっとも広く読まれているのはこれだろう。

 「学会発表」は誰でもできるが、「査読つきの論文」はそうはいかない。
 学会誌に掲載される「論文」は「査読」のプロセスを受ける。
 「論文」は些細なことでもいいので、その論文で初めて明らかになった実験結果や、そこから導かれる新しい仮説とかを含んでいなくてはならない。
(菱沼さんが「先を越される」かどうか気にしていたのは、そういうことだ)
 これがいわば、「人類の英知の殻」をちゃんと押し出しているかどうか、判定を受けるプロセスという訳だ。

 執筆者が投稿した「論文」をエディターが匿名の査読者(レビュアー、レフェリー)複数に送る。
 「査読」をしたレビュアーは(人にもよるが)、ちゃんと新しいことをしているか、実験計画やプロセスに問題はないか、それを適切なグラフや、表を使い、なおかつロジカルな文章として説明できているか、などなどの観点でチェックする。
 その上で、重箱の隅をつつくようなコメントをつけて、その「論文」をアクセプトしてよいか否かの判定もつけてエディターに戻し、レビュアー全員とエディターのコメントがついた「論文」が書いた人の所へ戻ってくる。

 戻ってくる時のステータスは、大まかに以下の4つである。

◆ アクセプト(ちょっとだけ手直しすればいいよ)
◆ アクセプト(大幅に手直しが必要だけど、まあいいよ)
◆ リジェクト(うちじゃあダメだけど、別の学会誌に送ってみたら?)
◆ リジェクト(残念でした。またどうぞ)

 今なら、専用のオンライン投稿のシステムがあるし、それがなくても、エディターさんとは電子メールでやり取りできる。
 でも、電子メールの普及前は、マンガに描かれた菱沼さんと同様、書いた論文はレビュアーさんの人数分の写しまで自分でプリントして準備したものを海外に郵送し、郵送で戻ってくるものだった。
(自分も一回だけ郵送を経験したことがあるが、この部分は今ではだいぶ楽になった)
 戻ってくるまで、郵送の時代なら早くても2ヶ月弱はかかっていたはずだ。
 リジェクトされたら、別の学会誌に投稿するにしても、また同じくらいの時間がかかることになる。
 『動物のお医者さん』の菱沼さんのエピソードは、そのあたりの執筆者のもやもや感をうまく再現していたと思う。

 この「査読」のプロセスを経て、ようやく「論文」が世に出るわけだが、実はこの後はさらにシビアである。
 「査読」は一般に、近い分野の研究者が3~4名、「論文」の妥当性や新規性を判断するというプロセスだが、そのハードルをクリアして世に出た「論文」のその後は、読者次第である。

 読んで「面白い」と思ってもらえるかどうか、このあたりは実は小説の世界とも多少通じるところはあるように思う。
 「面白い」とか、「参考になる」と思ってもらえれば、その論文は別の研究者の査読つき論文に「引用」される。
 「参考になる」程度でも、「引用」されるということはその科学分野へのインパクトがあった、ということだ。
 インパクトファクターは論文が掲載されるジャーナルの引用数の平均値を基にしている。ということは、どんなにインパクトファクターの高いジャーナルにだって、引用数が平均以下の論文も膨大にあることになる。
 論文を書く研究者としては、当然ながら、せめて掲載されたジャーナルのインパクトファクターの数値よりは多く引用されたいものである。

 さらにいいのは、自分が論文で提唱した仮説が他の研究者に追試、検証されて、「これは間違いない」として、分野に定着していくことだ。
 やがては、専門書や教科書にも自分の研究が反映されるかもしれない。そこまでいけば、まさに「人類の英知」の一部である。

 さて、大学の研究室や科学者の生態をネタにした作品として、小説の分野で近年話題になったのはやはり松崎有理『あがり』だろう。
 『あがり』の世界では、大学の先生が「論文」を出さないと大学から追い出されるという科学者ディストピア(?)の設定で、それを背景に、代わりに「論文」を書く「代書屋」が横行していたりする。
 また、実験動物をめぐるエピソードなどもあるので、『動物のお医者さん』のファンにはオススメの作品かもしれない。
 因みに、この小説の舞台となっている「北の街」にあるキャンパスがあちこち分散しているいわゆる蛸足大学、のモデルになっているのは自分の母校でもある。

 なお、自分の場合、いちばん引用された論文はこちら。
 もちろん、代書屋なんて頼んでいませんよ(笑)!

https://pubs.acs.org/doi/10.1021/jf1000524


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