終演した舞台の感想。『ザ・モニュメント』

公演は終わっているけど、KJプランニングス『ザ・モニュメント 記念碑』の感想。
12/4(初日)観劇。

人間と戦争についてではなく、人間の中に巣食う戦争について、グロテスクさを避けることなく書かれた物語。95年にカナダで初演、作者はコリーン・ワグナー。残虐な犯罪の告白や直接的な暴力の描写など、さまざまな“重苦しい話”が次々と現れる。
戦争中に犯した罪によって死刑判決を受けた若い兵士ステッコを、翻訳も手がけた神保良介が、ステッコを死刑から救う代わりに、自分の命令はすべて聞けと言って彼の前に現れた中年女性メイラを、FUKAI PRODUCE羽衣でもお馴染みの西田夏奈子が演じた。演出はピーチャムカンパニーの川口典成。
加害者であっても被害者であってもずしりと重いせりふを、その重さを1グラムも軽んじることなく喋った俳優と、腰を据えて戯曲と向き合った演出は誠実で、3人の誠実さは確実にある迫力を生んだ。が、一方で、話の内容の緊張感は伝わっても、ふたりの間にあるはずの緊張感は充分に伝わってこなかった。
ステッコがメイラを襲うチャンスは何度もあった(ステッコがつながれている鎖の長さは、メイラの首に引っかけて締めるのに充分だったし、大きな岩を自分の足の上に落とす前にメイラの足に落とせた)のに、なぜそうしないのかがいちいち気になったのは、そのためだ。
戯曲上の仕掛けとしてはおそらく、メイラがステッコに対して決定的な上下関係をつくるため、出会ってすぐに彼の片耳を切り落とすという暴挙に出、以降も周到にその関係性を持続させるのだが、舞台上のふたりの距離感は、上下ではなく早々に横並びになって、被支配者−支配者、弱者−強者ではなく、ダダをこねて甘える子供と、叱りながら許している母親に見えてしまった。
ステッコのハイテンションな饒舌は、戦争に踊らされた道化のおしゃべりであり、それが弱者であることの何よりの証で、メイラはその軽さや余剰を完全に相殺する存在として位置づけられるべきではなかったか。そのシーソーがしっかり出来上がってこそ、ステッコがメイラの中の矛盾を糾弾してふたりの立場が一気にひっくり返るシーンが鮮やかに見えたと思う。

それともうひとつ。ト書きをいくつかモニターに映していたが、あれは無くてもよかったのでは?

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