地人会新社『休暇』@赤坂REDシアター(6/1閉幕)

ガンが再々発した女性が、豊かな自然の中に建つ別荘で1週間ひとりで過ごし、これからどうしていくべきかを考える。ここに、ずっと自分を愛し、支えてくれた“良き夫”からの自立が絡んだ現代版『人形の家』。

別荘でローズは自らの半生をテープに吹き込む。病気の原因はネガティブな感情にあると考えるカウンセラーの勧めで、これまでの人生でなぜ自分が自分を認められなかったのかをたどっていくためだ。夫との休暇で海外に出たら入院中の母親が亡くなったこと。母と折り合いが悪かった夫が一緒に悲しんでくれなかったこと。自分は子供が欲しかったのに、夫に拒否され続けたこと。プロの画家になれなかったこと。

だが来て早々に台所のオーブンが故障し、修理にやってきたラルフ(加藤虎之介)という青年と知り合いになる。大学で科学と哲学を学び、世界中を旅してきたというラルフにローズは惹かれるが、彼がテープを聞いたことにショックを受ける。だがラルフは、テープの内容からアーサーが本当にローズを愛しているのかと問い、ローズは答えられない。そして迎えに来たアーサーに、ローズはラルフとの関係を打ち明けるが──。

これは全くの私見なのだけれど、ラルフは本当にいたのだろうか。ローズがアーサーとの関係を自問自答するにあたってつくり上げた架空の人物という気がしてならない。というのは、まず、ローズがラルフに惹かれる理由がわからない。ローズの描いた絵について彼が「思考は言葉になった瞬間に影になる……」と言い、ローズはそのひとことでラルフを“田舎の雑用係”ではないと感じるのだが、私にはその言葉が、知性ある中年女性が心を打たれるような深いものだとは思えない。その後の会話もまったく続かず、彼らはすぐに別れる。後日ふたりはウィリアム・ブレイクやデイ・ルイスの詩の話(完全な余談だけど、俳優のダニエル・デイ・ルイスは確かこの詩人の子孫だよね)をするのだが、それもローズの知っている範囲の話でしか展開していないように思う。また、別荘の持ち主が「いつでもオーブンの調子を見られるように」とラルフに鍵を渡していて、彼がその建物に自由に出入りできるというのも、あまりにも不自然だろう。そうしたことを考えると、自己紹介をし合った時のラルフの「ふたりとも(名前が)Rで始まるんだ」という言葉は、暗に、ふたりがひとりであることを暗示したものではないか。

もしそうだとすると、ローズの病(ガンではなく、夫への依存)は深い。そして実際、ローズが自分の人生のうまく行かなかった問題をことごとく夫に転嫁しているのは確かだ。株のディーラーとして成功し、下手だが詩もたしなむ=ガチガチの拝金主義者でなく芸術を理解する感性を残しているアーサー(永島敏行)と結婚し、ほとんど専業主婦として余裕のある暮らしてきたものの、ある日、自分がプロの画家になれなかったのは夫が嫉妬したからではないかと考え、それでも夫のお金で個展を開くが失敗、来場した人達の芳しくない反応に傷付いて1日も早く引き上げたかったのに、夫から「それなりに投資をしたのだからダメだ」と言われてそれが叶わなかったと愚痴るのだ。本家の『人形の家』のノラは、女性が社会に出ていくことがほとんどかなわない時代と場所に生きていた。でもローズが生まれ育ったのは現代のイギリスで、女性が仕事を持つことも、趣味でひと旗あげることも、はるかに自由にできる。だから、望みながらそれをしないのは、本人が自らそれを避けているケースが多い。そこと決別しようとようやく決意するきっかけが近付く死期だとしたら、1度でも豊かな結婚生活という甘い味を知った女性の自立は、19世紀と同じかそれ以上に難しいということか。

この戯曲は、劇作家ジョン・ハリソンが妻をガンで亡くしたことがベースになっているという。だからきっと女性への意地悪な視線はなくて、こう考えるのはあくまでも私の感性の曲がった部分なのだけれど、ローズが心身ともに飛び立つために使うタクシー料金と飛行機代を支払うクレジットカードは、きっと、アーサー名義だ。

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