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「死ぬなら一人で死ぬ」しかないのか。

 あんまりにも人が死ぬので、こんなに他殺事件が起こるのは異常だ、と思いそうにはなるが、実のところ人はいつも死んでいる。連日のニュースをうけてもしあなたが「こんな凄惨な事件には何か対策を(政府が、あるいは誰かが)講じなければならない」と思っているのならばそれは間違いだから改めたほうがいい。

 
 あなたが食事を取り眠っているその間にも、どこかで誰かが自殺について真剣に考えている。そんな人達を救おうとしたとき、きっとあなたはどこかで区切りを付けなければならない。何故なら全員を救おうとしたならば、今度はあなたが壊れてしまうからだ。

 
 私は人生で二回、自殺する事について本気で考えた事がある。

 
 初めては中学三年生の頃だ。

 両親が離婚し、生活の形態が少しだけ変わった。様々な事情から、自分は死んでしまったほうがいい、生活の中の苦しみがあるくらいなら今命を絶ったほうが楽だ、と思っていた。

 
 死について考えるたび、当時の私は恐怖で胸がいっぱいになった。死んだ後は文字通りの無が待っている。無だ。自分自身が無くなってしまい、そしてもう何も感じる事、考える事が出来なくなってしまう。自分が死ぬ事自体にも怯えるのだ。
 

 風呂に入ると、そういう事が激しく頭の中に浮かんでしまうので、そのうち私は風呂に入れなくなった。本やスマートフォンを持ちこむ事で考える事をやめる事ができた。今でも、湯船につかるには何かを持ち込まないと耐えられない。

 
 二回目は一年前だ。一年前の六月あたりから、研究室と就活の作業の間で、様々な苦痛に耐えきれなくなり、これはもう死んでしまったほうが良いのでは? とずっと考えてしまうようになった。

 
 いわゆる希死念慮である。流石に精神科に言った。得たものはあったが、それよりも失ったものがはるかに多かった。抗うつ薬を飲まなくなった時に現れる離脱症状がその一つだ。
 希死念慮については今でも続いている。自殺について考えそのたびに右往左往するというよりは、じっと死ぬ事について度々考えるようになった。死にたい、と思う事は少なくなっているのだが、困った事に生きようという気力も中々湧かなくなってしまった。
 


 日々失われていくものばかりだが、分かった事も少しある。
 自分を助けてくれるのは、自分しかいないという事だ。

 
 もし例えばあなたの身内に引きこもりがいるとして、あなたは何をすべきだろう? 専門家に相談するのがベストだ。しかしあなた自身がすべき事は? 彼あるいは彼女と話し合った方がいいだろうか? それとも好きなようにさせておくか、あるいは部屋から叩き出すか? 

 
 だがそれからはその引きこもりの人自身が、何をするかを決める。その人が何をするかの最終決定権は本人に帰結する。その人が外に出て散歩するかしないかは、結局のところその人自身の決意によるのだ。

 
 あなただって、その人に付きっ切りでいるわけにはいかないだろう。何故ならあなたも自分の人生を生きていかなければいけないのだから。

 
 身体の具合が悪いという人に対し、病院に行ったほうがいいと言う事はあっても、引きずってまで病院に連れていく人はおそらく少ないはずだ。そんな事ができるほど人は暇ではない。自分の人生に忙しくて他人のそれにまで干渉できない、あるいは干渉してはならないと思うからだ。

 
 ある人が自殺して、知り合いだったあなたは何かをしてやれなかったのかと後悔する。だが結局のところ、過去に戻ったとしてもあなたはその人に何も出来なかっただろう。声をかける、親身に接する、だけじゃその人の本当の問題は解決しない。悩みを打ち明けてもらおうとしたところで、その人はどれだけあなたを信頼しているのだろう。そして実のところ、あなたにどれほど頼るのかはその人次第なのである。これは死についても言える。医者でさえ、死の淵に立つ人を治療するのは至難の技だ。しかも最終的には患者の身体能力にかけるしかない。
 
 
 ひとは人を救う事は出来ない。ただ人が救われる手助けをする事しか、できない。

 
 みんな自分の事で精一杯なのである。

 
 引きこもりの息子を親が殺害した事件、息子を責める人、親を責める人、引きこもりの支援をする人、引きこもりの親を支援するべきだという人、様々いるが、私個人の意見としては、誰かを責める権利は我々には無い。

 
 専門的な仕事に従事している人以外では、何かをすべきだ、何かをすべきだったと言う権利すらもないと私は思う。何故ならあなた方は誰も救えないからだ。いったい誰が、他人の人生を定める事が出来るだろうか。それは不可能とまでは言わないが、とてつもなく難しい事であると思う。

 
 自殺したい人がいるなら自殺すればいいと思う。

 
 ただし、仮に自殺を考える人に言える事があるとすれば、あなたの人生を決められるのはあなただけだ。あなたが死ぬか生きるのかを決められるのはあなただけしかいない、そして生きるという項目の一つには助けを求める、という方法もあるという事だ。そうすればもしかしたら誰かがあなたが生きる手助けをしてくれるかもしれない。おそらくは。
 


 生きるか死ぬかを決めるのは結局のところ、たった一人あなただけの自由意思に委ねられる、それがどれだけ歪み、視野狭窄となっていたとしても。

 

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