見出し画像

演劇との向き合い方

以前の向き合い方

私はこれまで既存の権威の力に直接的・間接的にあやかって活動を続けてきました。目まぐるしいスピードで進歩を続けるテクノロジー、そこに生きる人間の時代背景の変化により、業界に求められるニーズも大きく変わり、随分前から変化が求められる状況であったにも関わらず、少ないながらも演技を用いて収入を得ていた私はある意味、思考停止してただ個人の能力を磨くことに特化して生きていました。

転機

しかし、数年前、全く違う場所で演劇をしていた従姉が病気で亡くなったことが、私に多くのことを気付かせてくれました。彼女は家が近所だったこともあり姉弟のような存在でした。

もともと身体が丈夫でなかった彼女は働きながら、深夜遅くまで稽古をして数多くの舞台公演に関わっていました。ギャラもなく、やればやるほど経済的にも肉体的にも負担の大きい環境の中で、身体を壊し、それでも演劇に熱意を傾け必死に続けていました。ボロボロの身体になっても舞台に立ち、次の舞台に立つことが彼女の生きる力になってすらいたようです。亡くなる前数日間における肉体の苦しみようは壮絶なものでした。

告別式の参列者が驚くほど多かったことに、皆に愛された彼女を思いました。それを見て、どうしてそこまでして舞台に立とうとしたのか、少し分かった気もします。彼女の人生はある意味幸福だったと言えます。しかし、同時に、もっと違った幸福もあったのではないか? とも思います。

私は演劇に関して、演者に特化した経路を歩んできたため「演劇人」と自称するのは少し憚られますが、演劇自体は好きです。舞台に限らず、たまに頂く、テレビ、ラジオ、映画、企業VP、WEBなど映像や音声での仕事も好きです。とはいえ、命を懸けてまでやる価値があるかは分かりません。ただ、誰かの様々な創作物を見たり触れたり、何かしらの表現行為をすることで、自分が救われてきたことは確かです。

今後の姿勢

いま私は、私個人の演劇に関する活動、そして、演劇ユニット「をまちながら」の活動を、演劇という文化が、やる側にとっても、みる側にとっても、もっと身近で手軽に楽しめるものになればという願いをもって進めています。それぞれの環境、肉体、知性、条件にあった自然な方法でそれを続けることが出来るように。目指すは「演劇のインスタント化」です(これについてはまた改めて掲載します)。一方的に観て受け取るものではなく、時間を共有することが、どこかにいる誰かの、救いになったり、生きる力、心の糧になればと思っています。

この記事が参加している募集

自己紹介

私たちの活動は、継続していけるような運営を目指してはいるものの、目に見える利益だけを考えると、恐ろしくコストパフォーマンスの悪い分野で挑戦をしています。 私の記事・活動に興味を持って下さる、あなたのサポートで更なる挑戦を続けることが出来ます。 よろしければ、どうか応援下さい!