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海での孤独感を表現したい

こんにちは、枯木屋ユージンです

まだまだ寒い時期は続くのですが、今回は海に浸かるお話です。

人は何故、趣味にハマってしまうのでしょうか?

まぁ、そんな事は人それぞれだし、人の好き好きという事で話は十分完結してしまうのですが。

身近なひとに「枯木屋さんはいろいろ趣味があっていいね」と言われることがありますが、反対に趣味のない人は、いつものんびりで余裕がある人に見えて羨ましかったりします。

しかも、好きな事や趣味がある人は、それを他人に押し付け気味に話してきたりもするでしょう。自分も時々そうなっているのです。

ネット上だと、興味ある事柄についての評価やレヴューを探して読みたくなります。

でも身近な人が、例えば「あそこへ行ってあれを食べてみろ」とか、「この映画絶対観たほうがいい」とか、「この温泉宿最高」と言ってスマホのホームページを鼻先へ突き付けてきたりすると、少し引いてしまう。私は老眼だと分かっているはずなのに。
中学生の時、同じクラスの女子に、小説『ある愛の詩』を読め読めと言われて困ったこともありました(何年前の話をしているのだ)。
感想文まで書かされそうになったのです。
被害者は私だけではないかもしれません。

と言うわけで私の趣味のひとつ、海に浸かる(シュノーケリング)の勧めです。

シュノーケリングは何がいいのか? はっきり具体的に説明できることもあります。

1,無料で出来る
2,お手軽に出来る
3,海が近くにある(わたし個人の理由)
4,運動になる
5,個人行動なので100%マイペースでできる
6,おそらく、海中ほど多くの野生生物に簡単に近づけるところはない
7,陸上とは全く異質な美しい光景が出現することがある
8,マインドフルネスじゃなくても嫌でも呼吸を意識できる(ちょっと違うか)?

これらの理由なら、シュノーケリングに興味がなくても、頷いていただけると思います。
家族で海へ旅行して、海水浴だけでは物足りなくなった時に、アクティビティとしてやってみるのも楽しいのではないでしょうか?
始めたきっかけがアクティビティ的な乗りだったとしても、それが取り組む対象に変化すると、趣味になったと言えます。

シュノーケリングで、どんな時にそれを感じるようになったのかと言えば、海という独特な環境での孤独感でしょうか。
恐怖感とも大きく重なっている気もします。
決して無音ではない静寂と浮遊感。不思議な感覚。
どう言えばいいのか、危険なやすらぎのようなもの。
沖へ行けば行くほど、深く行けば行くほど、魚が多ければ多いほど、大きければ大きいほど。
この孤独感とワクワク感は、ほぼ同じ分量でやってきます。

勧めておきながら、怖がらせている。
シュノーケリングは、お手軽で楽しいですが、自然相手なのは間違いないので、絶対に無理せず注意してください。

岸を振り返れば、車も走っているし、小さくコンビニも見えているのに、自力で戻れなかったら大変だ。

体の中が透けて見えるキンメモドキの群れ

先日、youtubeに3本目のシュノーケリング動画をアップしました。
視聴していただけたら幸いです。

しかし、「修行僧みたいな、こんな偉そうな事を言って、あの程度の動画?」と言われそうな気がします。

この海で一人で居るというジーンとした感覚を、言葉でなく感覚としてどうにか表現する方法は何かないのかと、ぼんやり思うようになりました。

今年の夏も、アクションカメラを持ってプカプカ泳ぎに行くこととします。

ではまた、次回


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