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vol.57 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読んで

原文を初めて読んだ。とても読みにくかった。「乳の流れたあと」や、「脂油の球」や、「天気輪」など、比喩や独創的な表現が多く戸惑った。有名な作品なので、感想文が書けるぐらいには理解したいと繰り返し読んだ。それでもとても難しい作品だと思った。いろんな捉え方を楽しむことが、この作品を有名にしているのかもしれない。

これは宮沢賢治だった。現実的な表現であるわけがない。どう描こうと、「表現の自由」なのだ。どう捉えようと「感じ方の自由」なのだ。馴染みのない宮沢賢治の世界に入ってみようと、絵本を広げ、空想をふくらまし、「新世界交響楽」をイヤホーンに、青空文庫で読んだ。

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少年ジョバンニの孤独と、自己犠牲を「ほんとうの幸い」につなげるカンパネルラのことを考えた。

ジョバンニが感じている疎外感は大変なものだと思った。漁から戻らない父のこと、病に伏す母のこと、クラスメイトにからかわれ、みんなを横目で見ながらの朝夕の仕事、親友カンパネルラもどことなく遠慮がち、楽しい銀河めぐりでも、女の子かおる子とカンパネルラが楽しくおしゃべりしているし、ジョバンニのひとりぼっちはずっと続いている。

ジョバンニのこの悲しみが、将来の彼を支えるものになって欲しいと願った。銀河の旅が、彼を成長させてくれるといい。夢から覚めたなら、父もちゃんと帰ってきて、母も回復して、天の川を神話として捉え、実際は水素ガスを含む巨大な星の集団で、「みんなの本当の幸いのために尽くすこと」の前に、自分の幸福をしっかり考えて欲しいと思った。なんたって、ジョバンニが持っている切符は誰よりも1番いい切符なのだから。

そして、カンパネルラは間違っていると思った。「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸いになるなら、どんなことでもする」って、自己犠牲の上に成り立つ幸いなら、ちょっと待ってよ、と思ってしまう。「自分は犠牲になったけど、ザネリを助けたから、1番いいことをした」だから、「おっかさんも喜んでくれる、幸いになる」では、あまりにも悲しすぎる。「東に病気の子供あれば・・そういうものに私はなりたい」を押し付けないで欲しい。カンパネルラも、途中で乗ってきた女の子かおる子も、男の子タダシもみんな悪くないのに、みんな消えてしまう。

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どうしてこんなに悲しいことを描いたのだろうか。宮沢賢治は、自分のことだけを考えるのではなく、人を思いやって生きていくこのと素晴らしさを「雨ニモマケズ」に込めていた。「銀河鉄道の夜」でもそれなのか。僕には悪夢の話に思えてくる。川に落ちた友人を助けるために、飛び込んだ親友が消えてしまった。親友の父親は「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」って、なんだよ。あきらめ早いよ。もっとみんなで捜そうよ。だって子どもの命だよ。人のために尽くすことがほんとうの幸いって、どうやって受け入れたらいいんだよ。理想と現実のギャップにつぶれそう。もしそれが信仰なら、そんな神様はいらない。カンパネルラやジョバンニの笑顔が欲しい。

結局僕はファンダジー作品をどう捉えていいかわからないままでいる。

今、僕の好きな女優杏さん出演のテレビドラマ「偽装不倫」をやっている。このドラマ、「銀河鉄道の夜」の話も出てくる。杏さん演じる「鐘子」は、自分の幸せのために嘘をつく。善悪の心の葛藤は、とても人間らしい。僕は、こんな「こじらせ女子」を応援したくなる。カンパネルラに、もう一度「ほんとうの幸い」を問うたい。死んでしまったら、親の悲しみは一生続くのだから。

おわり

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