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vol.51 芥川龍之介「秋」を読んで

この恋、せつなすぎる。昔好きだった男は妹と結婚した。姉は自ら身を引いた。久しぶりに会った3人の、互いに気遣う心理描写に圧倒された。文章全体から漂う高雅な趣も、とても心地よかった。行間から感じる姉妹の心の揺れが、妙にリアルに伝わってきた。

<あらすじ>
姉の信子は、同じ小説家志望で従兄の俊吉に思いを残しながら、別な男と結婚した。妹の照子は、姉が別の男と結婚したのは、自分が俊吉を好きだから、身を引いたのだということを解っていた。信子の夫は優しかったが、信子が小説を書くことを嫌がっており、細かい生活費についてもネチネチと文句をいう男だった。
ある日、信子が妹夫婦の新居を訪問した時、家にはたまたま俊吉ひとりしかいなかった。信子は未だにしこりとなった思いを抱きながらも、久しぶりに俊吉と小説の話などをして過ごす。やがて妹が帰宅し、姉妹で楽しい会話をしていたが、照子はふと、姉の沈んだ様子に気がつく。姉の結婚生活が不幸なことを察した照子は泣き出した。信子は、妹を慰めながらも残酷な喜びを感じていた。照子は、昨夜の夫と姉の庭の散歩に嫉妬していた・・・・・    (あらすじおわり)

この3人のことについて、あれやこれやと想像してみた。

妹の幸せのために、好きでもない男と結婚して、生まれ育った地を遠く離れて暮らすことが、本当に妹のためになるのだろうか。自己犠牲の上に成り立つ、結婚生活は、互いを苦しめる結果にもなっている。

さらに照子の内面を意地悪く見る。照子は、故意に俊吉へのラブレターを信子に気づかせようとしたのではないか。妹の恋心を知れば、姉は自ら身を引く性格だとわかっていたのではないか。あるいは逆の見方も。照子は、姉が俊吉を文学趣味の違いから、結婚相手として相応しくないと思い始めていることを悟って、わざと俊吉にラブレターを書いて、姉を助けようとしたのかもしれない。

結局、誰も幸福そうでない。信子は、夫に「小説はもう書くな」と言われ、背を向け泣いていた。夫は、信子の経済的な無駄に苛立っていた。照子は、姉の悲しみは自分のせいだと、呵責に追い込まれていた。俊吉が同人誌に出した小説は、以前とは違い、寂しそうな捨て鉢の調子が潜んでいた。

でも、そんな邪推は、この心やさしい文章をぼやかしてしまいそうで、思い直す。

やっぱり短いセンテンスの行間から伝わる、緊張感がとても心地いい。相手を思いやる美しいやりとりが、心にぐっと入ってくる。圧巻の心理描写は、「トロッコ」の「良平」が無我夢中で家路を急ぐ描写を超えている。この「秋」、近代心理小説として、まっすぐにそこを楽しみたい。

それにしても、芥川の小説、いつも僕に難解な部分を残してしまう。照子はなぜ、鶏を大切に育てているのだろうか。どうして信子は照子の結婚式に行かなかったのだろうか。どうして妹とは永久に他人になったような心もちがしたのだろうか。行間に思わせぶりな意味を含ませながら、読み手を絶妙に惹きこむ。芥川の作品は、そこを楽しむ文学なのかもしれない。

おわり


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