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vol.52 ドストエフスキー「正直な泥棒」を読んで(小沼文彦訳)

1848年に発表されたドストエフスキー初期の短編。この時代、ちょっと調べた。ロシア帝国ではまだ農奴制があり、貴族に隷属されていた農奴たちは「貧しき人々」だった。日本ではこのころ、黒船来航で大騒ぎしていた。江戸時代末期、貧農が豪農に借金の帳消しを求め、均等な社会を求める世直し一揆が続発していた。

ドストエフスキーの作品に共通して描かれているのは、徹底的な貧しさと生きることの難しさ、過ち、そして苦悩との解説があった。19世紀のロシア文学は、ありのままの感情と、どうしようもない現実と、信仰が絡み合って、人々が悩み苦しむ様がある。僕のnoteでも、トルストイの「イワン・イリイチの死」では、「孤独な死」と「きな臭い俗世間」を描いていた。チェーホフの「桜の園」では、貴族と商人と農奴の下克上があった。そしてこの「正直な泥棒」では、「堕落した人間」と「手助けするやさしい人間」が絡んでいた。なんだろう、人間の心を深く深く掘り下げて、生きにくさの感情を表現することに、ロシア文学の魅力があるのかも知れない。

あらすじ
酒場で出会った酔っ払いが家に転がり込み、そのまま居ついてしまった。「犬っころみたい」な目で見つめられると追い出すこともでず・・・。家主の「アスターフィイ・イワーヌ一チ」は、この転がり込んだ得体の知れない酔っ払い「イェメリヤン・イリッチ」から、ズボンを盗まれる。とがめられた酔っ払いは何日か家出をするが、結局、家主はこの泥棒を許してしまう。やがて、二人は、互いに必要な存在だと気づく。

あらすじおわり

「ごみくずみたいな人間」にも清純な精神は宿る。「堕落した人間」を嫌ってはいけない。そんなことが書かれていた。

ちなみに、ドストエフスキーって、どうしようもないキャンブル好きで、浪費ぐせもあり、複数の愛人を泣かすロクデナシだったらしい。破綻した生活を続けながら、洞察力を磨き、人間を深く見つめ直す作品が多いから、評価が高いのかも知れない。

いつか、「カラマーゾフの兄弟」に挑戦しようと思った。

おわり

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