見出し画像

ひとりが仕事に、人生に立ち向かう時、小石は1つしかない。しかし。

小石は、1つしかない。

そんな心の声が目覚めと共にいつもしている。毎日。

たった1つの小石に比喩される1日1日毎日、毎日、私自身の身1つで、巨人に比喩される課題をぶちのめせ、
。。。ようは、そういう心象だ。

映画「インターステラー」の宇宙船の燃料みたいなものだ、ミッションの成功ためには、いつも燃料は足りないのです。マシュー・マコノヒーには家族があり、拡張された家族としてのアン・ハサウェイがいる。
マシュー・マコノヒーには、家族がいて、愛がある時点で、彼は超現実的にミッションを成功に導けることでしょう。彼には成功しなくちゃいけない動機がある。オチを知らない人はみてみればいい、あれは良い映画です。みた方が良い!間違いない。

私には、マシュー・マコノヒーにあるものがなく、あるのは小石1つだ。
奇跡で1体の巨人は倒せるかもしれない。
1体倒せば、次の1体を倒すことが求められる。
それも、仕方がないことだし、毎回1つの石でも1体の巨人を倒せてこそ、プロフェッショナルなのだろう。

しかし、いつか巨人より悍ましい者達がこうささやくんだ。
「1つの石で、2体の巨人を倒せ」。

一石二鳥という言葉は、むかしからある。

二兎追うものは一兎をも得ず、これもむかしからある。どちらも言ってることはつまりはおなじ、簡単ではないってこと。

マシュー・マコノヒーには支えがあるし、アン・ハサウェイって言うバックアップもある。NASAの科学と技術が彼を守っている。簡単では、ないから。

私にあるのは、
自腹のMacBook Airと個人年金、それとブロガーだった頃の名残の幾何の知恵や技術だけ。同僚は、私のためを思っているような優しいようなコトは言ってはくれているが、
とにかく悲しいのは私は希望を体現できないし、皆諦めていて動機がないようにみえることだ。彼らは、そして私も、立ち向かっていないように感じる。家族とはなにか、もはやわからない。動機や希望がないのに、小石が責任のように小さくも重くのしかかる。

小石などないと思っても、次の朝には手元に小石が1つある。

小石は1つしかない。
マシュー・マコノヒーのように宇宙を飛び回っている訳ではないのに、
とても、さびしく、
とても、つらい。

私は、立ち向かわなければならない。立ち上がらなければ。どこで、なにをしていようと、こういった気持ちがわかるなら、きっと我々は、我々だ。手元には小石が1つでも、きっと我々こそが一緒の宇宙船に乗り、宇宙の巨人を倒すことになるかも、しれない。

我々は、立ち向かう。
愛と希望を、我々が体現するべきなのだから。
我々には希望がある。
いつだってまだ、小石は1つ、ちゃんとあるのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?