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終わってしまったのは平成ではない

昨日夜の特報で、萩原健一氏が亡くなったことを知った。
68歳とはあまりに若い。8年前から難病のため闘病されていたそうな。
彼を偲んで、ニュースやワイドショーでは終日に渡って、業績はもとより逮捕歴も含めた「破天荒さ」を特集し繰り返し流している。
デビューしたGS時代から俳優への転進、時代と共に生きた記憶に残る大物であることは言うまでもない。
数々のスキャンダルもある意味、このスーパースターの足跡としては無くてはならないエピソードになっている。

「太陽にほえろ」のマカロニ。
「傷だらけの天使」の修ちゃん。
「前略おふくろ様」のサブちゃん。

どのショーケンもその時代の象徴で、自分の青春とも重なっている。
懐かしくもあるが、その映像を見れば瞬時にタイムスリップできる。
色褪せしていても、脳内では昨日の事のように鮮明でリアルそのものである。

晩年はそれほど露出が無かったものの、やはり彼の及ぼした影響や爪痕は、多くの人にとっても大きなものだったと再認識した。
GS時代こそ知らないものの、俳優に転進後を知るコアなファンは少なからず「ショーケン」を憧れの存在として、その背中を追いかけてきたんだと思わせる。

そうだ。オイラはショーケンになりたかったんだ。

◇◇◇

傷だらけの天使では「綾部情報社」の調査員だった。
「小暮修」中卒の24歳。剣菱をこよなく愛し浪曲を聞くのが趣味。
死別した妻との間に一人息子がある。
高倉健と菅原文太から一文字ずつとった健太は、妻方の実家にあずかってもらっている。
荒っぽくて粗暴な振る舞いのクズだが、人情にもろく非情に徹しきれない役どころ。極貧の癖に、DCブランドのMEN'S BIGIを着こなし、当時のファッションリーダーでもあった。
ダブルのジャケットにオープンシャツの襟を出し、パンツはタック入りのバギーパンツ。革ジャンを肩から羽織るのもイカしていたし、アウトローの代名詞で憧れのアイコンだった。
相棒の「乾亨」は、中学中退(小卒)で弟分。童貞で修より純情なヤンキーのお兄ちゃん。
ポマードで固めたリーゼントに、スカジャンを決めて「兄貴~」と連呼するのを真似した人も多いはず。

このコンビが、理不尽な仕打ちや圧力を受けながらも、なんとか対抗しようと奮闘する。
そんな彼らに自分自身を投影して毎回一喜一憂していた。
ところが、社会的な弱者である若者は、常に閉鎖的で非情な社会に抗うことができず屈してしまう。
この怒りや挫折感に共鳴し、当時の時代背景を受けて現実社会への眼差しへとして定着した。

 表面的には男同士の友情と絆を描いているように見えるが、大きなテーマは「アメリカンニューシネマ」から影響を受けた時代の空気感を切り取っていたんだと思う。

◇◇◇

「明日に向かって撃て」「イージーライダー」「真夜中のカーボーイ」「スケアクロウ」

この頃好んで観ていたのは、アメリカ映画ばかりで、世界は憂いていることを知った。
なかでも「真夜中のカーボーイ」は都会の閉鎖性からの孤独がテーマだった。
テキサスの田舎もののジョー(ジョンボイト)は夢を抱いて都会へやってくる。一方リコ(ダスティンホフマン)は小悪党のホームレスで、廃墟のビルでその日暮をしている。
二人でつるんで稼ごうと、成功しそうになるものの、まもなくリコを死病が襲う。リコのフロリダに帰る夢をかなえるために、ジョーは罪を犯して金を工面する。
そして、もう少しで夢にたどり着きそうになる直前で息途絶えてしまう。
お互いも利用しあいながら支えあわないと壊れてしまう二人を結びつけていたのは、はたして「奇妙な友情」だったのか。

この物語はアカデミー賞を受賞して解除されたが、そもそもは成人指定されていた。
リコはジョーを男娼として斡旋するが、ジョーにそんなことをさせたくないリコ。ジョーもしたくないけれど、せざるを得ない状況がこの関係をドラマティックに演出する。
ホモフォビアであるジョーは、実はリコをどう思っていたのか。
劇中では具体的には描かれていません。
でもこの描かれていなかった余白が、「友情」も「ホモセクシュアリティ」な関係も越えた絆であることを暗示しているように感じます。

魂のレベルの絆があるとすれば、それだったのではないかさえ思われます。
もちろん、「傷だらけの天使」の最終話でも、修は綾部社長の誘いに背き、(肺炎で死んでしまった)アキラを弔うために、リヤカーで夢の島へ向かいます。
都会の理不尽な扱いに翻弄されながらも、浪花節と義理人情を貫く姿は「純粋さ」のメタファーだったろうし、やりきれない思いに共感した若者が、この物語を心に刻み込んだこととリンクして思い出されます。

◇◇◇ 

性愛的な「ホモセクシュアル」としてではなく、男女の「恋愛」をも凌駕する「こころとこころ」のつながりを受け取ったとすれば、「ショーケン」はそんなテーマを表象する時代のアイコンだったのではないだろうか。

もちろんその他にも、数々の物語を教えてくれたのも事実だった。

だから画面の向こうの「ショーケン」に憧れ、そんな「ショーケン」になりたかったし、「ショーケン」を愛したんだと思う。

そんな「ショーケン」になれたのかは、まだわからない。

◇◇◇

一昨年、自分を育ててくれた師匠が他界した。
1950年生まれなので「ショーケン」と同い年であった。彼もまた、若かった。

平成が終わろうとしているが、そんなことよりこの大きな影響を及ぼしてくれた二人が相次いで鬼籍に入ったことである意味、昭和からの連綿としたなにものかが終わり、自分にとっての区切りがついたような気がした。

関係かないかもしれないが、自分のお袋が「GIST(消化管間質腫瘍)」だったことも他人事ではなかったかもしれない。

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