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大人とは滑稽だ

【大人】とは?

何をもって大人と言うのだろう?

成人すれば大人なのだろうか?

『大人って!◯◯◯』
子供がいう台詞。

◯◯◯に当てはまるのは
大概は文句だろう。

大人は『大人』を
言い訳に使う。
大義名分に使う。
諦めに使う。

年齢を重ねただけで
別に中身がかわらないからだ。

成長するのは
身体と
思考や概念やマインド
それだけだ。

成長とは、ただ大きくなる事。

大きい
人になった

それだけ。

【大人】に
意味を持たせるのは

思考や概念やマインド
なのである。

『好き』
『嫌い』
の基準が変われど

『好き』
『嫌い』
の感じ方は

大人も子供も同じである。

知識や技術などは
経験からくるものであり

スキルがあるから
大人という定義ならば

歳を重ねた人間は
大人なのであろう。

ただ
精神性で考えたら
歳を重ねたからと言えど
未熟者が居て当然なのである。

子供でも
精神性が高い人間もいる。

しかし、精神性と一言で言っても
精神性とは千差万別の捉え方があり

この観点で言っても
こうだから精神性が高いという
定義もまた曖昧だ。

所詮、大人も子供も
人間は不完全で完璧だ。

『大人だから』
などと言う言葉を無くして

年齢で何かを定義付けるナンセンスさに気付かなくてはいけないと
私は思うのである。

確かに、小さき子供は
大人の介入が無ければ
生きる事が、困難だ。

けれど、
心まで介入しては、ならんと思う。

心を閉じ込めてしまう
そんな哀しき事を
してしまわぬ様に

大人も子供も

【喜怒哀楽】の感情を
味わい尽くさねばならん

閉じ込めてはならんのだ。

大人は子供の
喜怒哀楽を受け止めるだけで良い

大人の価値観に嵌めてはならぬ

そして
子供の覚悟を応援すればいい。

覚悟がない子供にだけ
教え諭せば良いのだ。

そんな事も解らぬままに
大人になるから

『大人』という言葉に
振り回されるピエロになる。

大人になって
『自分探し』で迷子になるのだ。

なぜなら
大人だって子供だった頃があり

子供の頃、大人に
心に介入されたからだ。

そして蓋をした。

大人になって
『大人』を言い訳に
人生、生きているからだ。

同じ事を、子供にする気ですか?

【大人】などという
【滑稽】なものに

いつまで、しがみつくのですか?

本当の意味で
大人になるには

自分の中身(心)にある
【喜怒哀楽】を味わい尽くし

自分の心の声を理解する事。

そして自分の周りの他者との関わりの中で

そこに自分を投影する事が出来る事

他者から与えられた感情は
好き嫌いに関わらず

貴方の喜びの投影
貴方の怒りの投影
貴方の哀しみの投影

あの人の何処かに
貴方が居ます

認められないなら

認められない自分を
認めなさい

喜び
怒り
哀しみ
羨望

これが貴方から出る『愛』です

味わい尽くす事が
【自分を愛する事】
なのだから。

歪めるから

憎悪
嫉妬
不安
恐怖

に変わるのです。

人生を生きるのに

大人も子供も
年齢も性別も
見た目も人種も

本来なんの制限も無いのです。

制限を設けたのは
所詮、人間です。

本当に
人間とは
滑稽で
愛おしい


さぁ

喜べ
怒れ
哀しめ
楽しめ

上も下も左も右もない

世界で

踊りましょう。

みんなで!


我ぞ。カーコのファンだ! と、いうツワモノよ。 サポートしてくれると喜ぶよ(*´꒳`*)