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『ピアノを弾くフランツ・リスト』ヨーゼフ・ダンハウザー 、1840年

今回はリストとショパンだけでなく、彼らを取り巻くこの時代の文化人を見ていきたいと思います。
この人もこの時代に生きていてリストやショパンと交友があったんだなーと思うと私はとても興味深く感じます。

私がnoteを書き始めた動機の一つは芸術家たちの交流を調べて残しておきたいということだったので、今回は張り切って書いてしまいました。
なので少し長いです。

ヨーゼフ・ダンハウザー

ヨーゼフ・ダンハウザーはオーストリア、ビーダーマイヤー時代の画家です。

ヨーゼフ・ダンハウザーの肖像画(フリードリヒ・フォン・アマーリング)


同時代の画家としては、フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー、ペーターフェンディなどがいます。

ベートーヴェンの肖像画(フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー 、1823年)
彼は肖像画家として活躍しましたが、画風がアングルに似ていると言われてます。アングルも肖像画を描いていましたね。



1827年3月26日午後遅くに、56才でベートーヴェンが亡くなります。
ダンハウザーは尊敬するベートーヴェンが亡くなったと聞かされてすぐに、ベートーヴェンの友人であるシュテファン・フォン・ブロイニングにデスマスク製作のお願いをしました。
ブロイニングもすぐに了承して、ダンハウザーはベートーヴェンの最後の住居に行くことができました。
ダンハウザーは亡くなって数時間後のベートーヴェンから型を取りました。

1827年3月28日、死の床にあるルートヴィヒファンベートーベン ヨーゼフ・ダンハウザー

このデスマスクはその後ツェルニーの弟子であったあのフランツ・リストが所有していました。
リストはベートーヴェンを尊敬していたと言われています。

ピアノを弾くフランツ・リスト

さて、今日の一枚ですがこの絵はダンハウザーの想像で描いた絵なんです。

まるで演奏を見て描いたような臨場感さえ感じます! 今日はピアノを壊さないでね〜?


この絵はコンラート・グラーフの委託により描かれました。
コンラート・グラーフはピアノ技師です。ベートーヴェンやショパン、クララ・シューマンも彼のピアノを使っていたそうです。

グラーフのピアノ。絵に描かれているものと同じですね。


絵に描かれたフランツ・リストももちろんグラーフのピアノを使用していました。
しかし、リストが演奏中の感情の高まりにまかせてピアノを激しく叩きつけるのに対し、グラーフはいつも心配をしていたようです。

こんな話しが残っています。
1838年にウィーンを訪れたリストに関してフリードリヒ・ヴィーク(クララ・シューマンのお父さんです)は日記に残してます。
「我々は今日、コンラート・グラーフのところでリストを聴いたわけであるが、グラーフはピアノがその大一番から生還できなかったので冷や汗をかいていた ー今度もまたリストの勝ちだった。」
ヴィークはリストがこの滞在中の他の演奏会で2台のグラーフ!、さらにジギスモント・タールベルクから借りていたエラールを「破壊」したと書き残しています…。何台破壊してるんだ!

リストは超絶的技巧と大きな音量と音の強弱の起伏の激しさで聴く人を圧倒し、観客を熱狂させるピアニストでしたので、ピアノの破壊もパフォーマンスかもしれませんね…。

さて絵に戻ると、上記にも書いた通りこれは画家が想像して描いた絵なので当時の有名人がこの絵に描かれています。(逆に有名人がいすぎて、想像上で描いたとわかります)

ちょっと人物部分を拡大してみると

みんなグラーフのピアノを弾くリストの音楽に酔いしれてますね〜

まず、座っているのは左からアレクサンドル・デュマ、ジョルジュ・サンドです。
サンドは男装してますね!

アレクサンドル・デュマはあの三銃士を書いた作家です。リストと同時代に活躍してます。

アレクサンドル・デュマ、ナダールの撮影です。息子も作家となり、あの椿姫を書いてます。


ピアノを弾いているのはもちろんリストで、その隣で陶酔しているのが、恋人のマリー・ダグーですね。


立っているのは左からヴィクトル・ユーゴー、ニコロ・パガニーニ、ジョアキーノ・ロッシーニだそうです。
ヴィクトル・ユーゴーはデュマとも仲がよかったそうです。

ヴィクトル・ユーゴ、エティエンヌ・カルジャ撮影
ユーゴは、レ・ミゼラブルで有名ですが、彼の人生もなかなか波瀾万丈ですね。

ニコロ・パガニーニは、イタリア出身のロマン派のヴァイオリニスト兼作曲者で、そのあまりにも卓越したヴァイオリンの演奏技術から「悪魔に魂を売り渡して手に入れた」と噂されました。パガニーニの超絶技巧を聴いたリストがピアノ界のパガニーニになってやる!と言ったとか…。
ちなみにパガニーニはこの絵が描かれた1840年に亡くなってます。

『ヴァイオリンを奏でるパガニーニ』ウジェーヌ・ドラクロワ、1831年
ドラクロアは音楽家が好きですね。

ロッシーニはオペラ作曲家でウィリアム・テルなどを作曲しました。彼の作品はこの時代も大人気だったそうです。

作曲家ジョアキーノ・ロッシーニの肖像、ナダール
ロッシーニは美食家でもあったとか!フォアグラとトリュフをのせたステーキが、彼の名前から「ロッシーニ風」ステーキと呼ばれてますね。

絵ではロッシーニがパガニーニの肩に手を回してますが、パガニーニは気難しいので有名なのでちょっとないかな…と思ってしまったり…。

グランドピアノの上にはベートーヴェンの胸像があります。

パガニーニとロッシーニめっちゃ仲良しに見える。。


リストは、ベートーヴェンの故郷ボンにベートーヴェン像を建立するプロジェクトの支援を買って出て、チャリティー演奏会や式典の準備といった社会活動もしていました。

これがそのベートーヴェンの像です。まだ立ってるんですね!


壁にかかっているのはバイロンの肖像画です。バイロンは絵が描かれた当時はもう亡くなっているので、肖像画としての参加なんですね。

ゲーテでなくてバイロンなのは、リストが彼の詩から曲の着想を得ていたからでしょうか。巡礼の年もバイロンの詩集『チャイルド・ハロルドの巡礼』から着想を得てます。

ジョージ・ゴードン・バイロンの肖像
バイロンはイギリス貴族です。

絵の中の肖像画に少し似てる気もします。
バイロンは「彼はハンサムで快活で、会話も楽しい。あらゆる話題についていける。男たちは彼に嫉妬し、女たちはお互いに嫉妬する」という記録を残すほどでした。

さてもう一度全体の絵に戻ってみましょう。きっとグラーフのサロンを再現しているのでしょうね…。


この時代、多くのサロンが開かれショパンやリストは何個ものサロンを掛け持ちして演奏をしたと言われています。
サロンは色んな文化人が集まる社交界でした。フランスのサロンで史上有名なのはポンパドゥール夫人のサロンになります。
(ポンパドゥール夫人についての記事もあります。↓
初めはポンパドゥール夫人からフランスの宮廷について書いていく予定でした…いつか…)


時代の著名人たちが知り合いであるのは、サロンのおかげですね。彼らはお互いに色んな影響を与えていったのです。。

さて次回は月初めになるので、日本画を見たいと思います。先日行った美術館の所蔵にあったのですが、すっかり忘れて帰ってしまいました…。残念!

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