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不惑の疑惑

気がついたら、人間になって40年だそうです。
光陰矢の如し、とはよく言ったものです。
早いものですね。

今年は新型コロナの影響もあり、どうしようかと逡巡しました。結局、Go To トラベルに東京が加わったこともあり、出かけることにしました。

東京タワーでは、いつからか忘れましたが、誕生日と前後1日の計3日間に
身分証明証を持っていくとなんかもらえるというサービスがあります。
東京タワー好きな方の間では知られていると思いますが、意識しないと見過ごされること請け合いのものです。一般の「東京タワーの存在は知ってるけどそれ以上は…」という方のなかには知らない方もいるかもしれません。

さて。
40年目に入るということで、何かを残しておこうとった気合は特に持ち合わせてはいませんが、なにか書いておこうと思います。50歳になったとき、このサービスが残っていれば(残っているように祈っています)、読み返すこともあるでしょう。

40歳というと、昔から「不惑の歳」と言われているようです。
この年齢にもなれば、ということなのでしょう。この言葉が言われていたのは江戸時代でしょうか(知らない)。少なくとも現代では、寿命が伸びている分、40歳という年齢は、「もうこの年齢にもなれば迷うこともなかろう」ということはなく、50歳、もしくは、60歳くらいな気がします。
寿命にあわせて、こういうこともアップデートしてほしいものです。
そういう意味では、成人式が40歳でも良いのかもしれませんね。子供っぽい大人が多いのは、寿命が伸びたせいのように観察されます(自分を棚にあげて)。つまり、本来は、子供なのに、「大人」として扱われているということです。これは、ある意味、不幸なのでは?1億総子供時代でしょうか(引き続き、自分を棚に上げています)。

40歳にもなれば、さまざまな人たちと関わってきたといって良いでしょう。
良い人、悪い人。気が合う人、合わない人。色々な人がいました。
当然といえば、当然ですが。

ボールが無数に入れられた袋のなかで、動き回っていれば、様々なボールにあたるものです。自然の摂理。
避けようと思っても避けられない。ぶつかるのも、仕方ないこと。
仕方ないので、諦めるのも一つの方法だと考えられる。

上手く生きる、というのは、困難をうまく避けると思われているところがあるのではないだろうか。できるだけ事故に遭わないように。慎重に。
本当にそうだろうか。

上手く生きる、というのは、困難に当たったあとにどう対応すればよいかをわかっていることだろうと思う。ぶつかることは仕方ない。ぶつかったあとにどう行動するかを考えることが重要だろう。

どんなに気をつけていても、ぶつかるときにはぶつかるものだ。
前述のように、それはもう、避けようがないといっても過言ではない。
過言は寝て待て。

だからこそ、柔軟な対応が取れるようにストレッチしておきたい。
それが、上手に転ぶ秘訣なのではないだろうか。

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