ゴールデンウィーク最終日に思うこと

昨年のゴールデンウィークには何をしていただろうか。
来年の今頃には新型コロナも落ち着いていれば良いね、などと話をしていただろうか。結果としては、全然収束していないのだけれど。

今日は、連休の最終日だ。生憎の雨。でも、地球上のどこかには、雨であることを喜んでいる人もいるかもしれない。そういえば、コロナ禍という表現にもだいぶ慣れてきた。新型コロナの状況をなぜか「コロナ禍」と呼ぶ人たちがいる。コロナウイルス自体は、昔からあっただろうに。音で聞いた時「ころなか」という音を聞いた時、脳内でコロナ禍に変換できなかった。

この1年は、なんだか日常の価値を再認識させられるような時間を過ごしているように思える。当たり前のように出かけ、当たり前のように、食事をする。そういった日々の営みが、脆いものだとはどこかで感じていたはずだ。けれど、見ないふりをしていた。それが、今では、目を逸らすわけにはいかない。いやでも視界に入ってくる。そういう状況になってしまった。
そして、2020年に開催予定だったオリンピックは、2021年に延期となった。今年、である。開催されるのだろうか。未来の人に教えてもらいたい。

その時が来るまでは待ち遠しいけれど、いざ、その時が来てしまえばあっという間である。嬉しいことに限らず、大抵の物事は、そうだろう。嬉しいことも悲しいことも辛いことも、その時が来てしまえば、一瞬だ。その時がきた瞬間がピークである。あとは、下降するだけ。

人間だって同じだ。ある時までは、成長という。ある頃を過ぎると老化と言われる。成長も廊下も、現象としては同じものなのに。人間は、生まれた瞬間がピークだ。誰かがそんなことを言っていた(書いていた)気がする。

いつまでも降り続く雨、というものもないだろう。
明日には、上がっていると良いのだけれど。

おわり。

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