みんなで作るフィンランド、小さな国の全員参加型イノベーション社会

日本では、「働き方改革」とか、「一億総活躍」、「人づくり革命」といったものが看板政策として掲げられているここ数年。その言葉からイメージされるような社会が、フィンランドでは割と上手に出来上がっていると感じられる。フィンランドは、小さいのにイノベーションが次々と起こる国。そこには、たくさんの人材が積極的に社会に関われる環境がそれなりに整っているようだ。そういう社会の背景や仕組みの部分から見てみると、この国には日本にとって参考になる要素がたくさんある。ということで、今回は「全員参加型社会」としてのフィンランドの特徴をまとめてみようと思う。

フィンランド式、全員参加型社会

外に開かれた小さな国

フィンランドの人口は約550万人。兵庫県とほぼ同じで、北海道や福岡県よりほんの少し多いくらい。日本の人口の20分の1にも満たなくて、世界の国別人口ランキングでは、上から116番目らしい。この規模だと、国内のマーケットも小さいし、人材の頭数も限られてしまう。森林資源など、恵まれているものも無くはないが、全体的には資源の豊富な国でもない。同じ北欧でも北海の油田を持つノルウェーとは話が違う。だからこそ、優秀な人が活躍して付加価値を生み出し、海外にモノやサービスを売っていくことの重要性がより高い。優れた人材が足りなければ、海外から受け入れることも必要だ。こうした事情から、フィンランドにとって、海外との繋がりは不可欠なのだ。政府レベルでも他国との関係を重視していることが、EUに加盟し共通通貨ユーロを導入している国は北欧ではフィンランドだけという事実からも見て取れる。

フィンランドの人たちは、フィンランド語を大切な母国語と思っていても、通じるのはたかだか500万人ちょっとしかいないこともよく分かっている(ちなみに、人口の約5%、スウェーデン語を母語とする人たちもいる)。だから、英語を筆頭に、色々な外国語を身につけることは、海外とのつながりが必要なこの国では当たり前。ウェブサイトの英語版なんかも、日本と比べると圧倒的に充実している。

マーケットの小ささは、各種コンテンツの言語にも影響している。例えば、550万人のためにフィンランド語のテレビ番組を作るのには限界があり、海外から持ってきた番組もたくさん放送されている。これらは、いちいち吹き替えなんかしていられないから、字幕だけつけて放送される。すると、テレビを見ていれば日常的に英語が耳に入ってくる環境に身を置けるのだ。必ずしも高い志を持たなくとも、テレビが見たいというだけのモチベーションで英語が身についていく。このことは、テレビゲームなんかも一緒。遊びたければ英語が必要、みたいな感じ。

海外との関係を上手に構築する必要があるという社会的な前提条件によって、個人レベルでも外国に対して開かれた意識が作られていく。もちろん、全ての人が同じではないし、田舎に行けば外国人なんて怖くて話せないというようなフィンランド人もいる。だから、全てのフィンランド人が海外にオープンだなんて極端な捉え方は禁物だけど、それでも日本と比べたら、はるかに海外に対する意識が強く、外国人に対して分け隔てなく接する人が多いと思う。 

無駄なことなどしていられない小さな国

国が小さいということは、人も、お金も、モノも、限りあるリソースを活用する必要があるということ。無駄なことに資源を割いている余裕はない。組織の構造も、仕事のやり方も、なんでも合理的で最小限。80%の仕上がりで問題ない仕事は、いたずらに時間をかけて100%を追求しない。100%が必要な仕事だけ、100%まで頑張るけれど、それ以外はサッサと片付けてしまう。

職場での飲み会なんかも日本に比べると極端に少ない。仕事の後は、プライベートの時間であり、家族の時間である。でも、だからと言って同僚とのコミュニケーションが皆無かというとそんなこともない。フィンランドのほとんどの企業では、単なる休憩ではなく"コーヒー休憩"というものがある。さすがは1人あたりコーヒー消費量世界一の国だ。同僚たちがコーヒーを飲みながら(でも、コーヒーが好みでなければ、紅茶でもなんでも良い)、コミュニケーションを図ることができる。こういう時間に仲良くなることもできれば、必要なディスカッションもできる。意外なアイデアは、デスクを離れたコーヒーの時間の、ふとした会話の中から出てくることも多いらしい。単なる休憩だとみんなバラバラかもしれないけれど、コーヒーの周りで休憩を取ればみんなが集まってくる。うまくできている。合理化一辺倒ではなく、大事なところは残した上で、不要なことはしないというバランス感が、なんだかいい感じだ。そういう、程よい合理性は、日本人はまだまだ苦手だと思う。

でも、そんな遊びを少しだけ持たせながらも、基本的には合理的な考え方をする人たち。そして、社会を構成するために必要な人材を、適材適所に使うことも大切。労働組合が発達して労働者の権利が強いという事情もあるのだが、例えばこの国には「学習休暇」というものがある。労働者が望んだ時には、学校で一定期間勉強するための無給の休暇が与えられるというもの。つまり、給料は不要でも、会社はその人の復帰を受け入れなければいけない。経営者側にはけっこう辛いと思うけれど、必要な技能や知識が時代に合わせて変わっていくのに対応して、人材を流動化させるためにはとても有効な制度。だんだん労働力がいらなくなる産業から、人手が必要な産業に人材をシフトさせられる。あくまで一例だけど、国民をできるだけ戦力として社会に参画させ続けるための仕組みだ。

何事も効率よくするために、ITの力も大いに活用する。IT化によって省力できることをドンドンとりいれるし、そのシステムも完全に出来上がるまで待つのではなく、テスト段階でもドンドン使っていく。

とにかく、国全体で、できるだけ多くの労働力を活用して、効率的に物事を進めていくように考え方が統一されている。小さな国、という意識もほとんどの人が共通して持っているのだろう。 

個人の自立を可能にする高福祉社会

フィンランドの消費税率は、食品や本、交通費などに対する軽減税率(10%、14%)もあるけれど、基本24%。ヨーロッパでは全体的に日本よりもだいぶ高いけれど、フィンランドも例外ではない。買い物の際、価格表示は内税なので、値札だけ見ても感じないけれど、後でレシートを見ると、税金が高いなと思ってしまう。それだけだはなく、所得税や社会保障費を加えた国民負担率は60%を超える。稼いだお金の3分の1くらいしか手元に残らないのだ。日本の国民負担率は40%ちょっとなので、比べるとフィンランドがだいぶ高いことが分かる。

それだけ高負担の仕組みになっているけれど、不満の声はあまり聞かれない。というのも、払った税金や社会保障費が、きちんと自分たちに還元されていることが実感できるから。また、政策や予算の使い方に関して、透明性のある決定をしていることもその理由。

保健、医療や出産・育児支援、年金、住宅補助、失業手当など様々な社会保障が手厚く整備されている。人生のあらゆる段階で、国や自治体からしっかり支えられるから、安心できる。高負担なだけに、手元に残る可処分所得は少ないけれど、保障がある分、頑張って貯金する必要性も小さい。日本人が将来の不安に備えて貯蓄する分、フィンランド人は納税しているだけと思えてくる。それなら、無駄に高い税金とは言えない。ただ、フィンランドでも実は財源不足が問題になってきて、社会保障改革の必要に迫られている点はちょっと気になるところだけど。

社会保障が手厚いことは、もちろん、弱者を助けて、健康で文化的な暮らしを可能にするという側面もあるけれど、それ以上に、1人ひとりの国民が、家族や特定の組織に依存しなくて良くなることに、重要な意味を感じる。つまり、誰もが自立して、自主性を持って活躍できる環境が整っているのだ。戦力になれない社会的弱者をできるだけ作らず、誰でも社会に参加し、貢献できるようにする。

手厚い保障に守られて、失業状態を続けがちな人が出てくるというような問題もあるけれど、トータルで見れば、高福祉によって、より多くの人が活躍できている。この小さな国では、皆が戦力であることがとても重要なのだ。

すべての国民が必要な戦力に育つ高い教育レベル

社会福祉の一部とも言えるけど、教育も大切なポイント。優れた教育システムを持つと言われるフィンランドでは、保育園から大学まで学費は無料。無料だからといって手を抜いているわけではなく、質も評価が高い。例えば小中学校を見てみると、1クラスあたりの子どもの数は20人ちょっと。そこに、教師だけでなく、授業によってはアシスタントもつく。修士号を持つ教師たちは、みな工夫を凝らして授業の質を高めている。また、日本人から見れば授業時間も宿題の量もすごく少ないし、2ヶ月を超える夏休みをはじめ、まとまった休みもたっぷりある。それでも、この国は図書館をはじめとして、学校外での学びの場も充実している。考える力を重視した教育は、社会に出た後に役に立つもの。加えて、落ちこぼれを出さないことが重視され、仮に学習が遅れた場合も、もう1年時間をかけてしっかり学習しよう、ということになる。日本の留年ほどネガティブな捉え方はされない。一握りの秀才を伸ばすよりも、落ちこぼれを防止し、平均点の高い人材が生み出され、しかもそれが社会での実践向きという教育。これが、質の高い人材を安定して社会に送り出し、全員を戦力にしていく。

ただ、フィンランドの学校でも予算が不足していたり、首都圏と地方部の格差が見られたり、給食が美味しくないと評判を落としていたりと、問題がない訳ではない。また、一時期、OECDの国際学力テストPISAで好成績を出し、世界的にもフィンランドの教育が優れていると評価が急速に高まったが、意外にも国内では「なぜこの国が?」という感覚だったりしたようだ。そういう意味で、奇跡のようにすごい教育システムがある訳ではない。でも、教育の重要性はしっかり認識されている。ソ連崩壊による経済面の影響で国が傾いた際にも、立て直しの最重要項目として教育を掲げたフィンランド。人口の少ない国が発展していくために、教育が極めて重要なことをよく分かっているのだ。そして、優秀な人材が教師になり、一生懸命努力をしている。そういった部分も支えとなり、この国の教育レベルと、人材輩出が維持されているのだ。

学校教育においても、合理的かつ効果的な改革が積極的に行われているのも面白い。例えば、高校の学校運営に、大学の施設などのリソースを活用するSchool as a Serviceというのがある。これは、高校の運営においてはスリム化、つまりコストカットの効果がある一方で、生徒たちが高校の枠を超えたより実践的な経験を積めるというメリットもある。起業のエコシステムの重要なパーツとしてこのところ注目が高まっているアールト大学は、もともと別々だったビジネス、エンジニアリング、デザイン・アートの3分野の大学を統合したもの。大学運営の効率化を狙ったのではなく、エンジニアリングやデザインを学ぶ学生が、それをビジネスに結びつけられるようにしていくという狙いがあってのもの。こういった面白いチャレンジを積極的に行えることも、この国の教育システムの特徴のひとつだと思う。こういう色々な工夫は、単に教育レベルを維持するという効果だけでなく、戦力になる人材を生み続けるために必要なこととも言える。 

高いレベルでの平等と多様性の実現

男女格差が少ないとして、毎年世界経済フォーラムの「The Global Gender Gap Report」で上位に並ぶ北欧の国々。2018年の上位4ヶ国は①アイスランド、②ノルウェー、③スウェーデン、④フィンランド(ちなみに、日本は、149ヶ国中の110位)。2017年は、①アイスランド、②ノルウェー、③フィンランド、④ルワンダ(日本は114位)。2016年は①アイスランド、②フィンランド、③ノルウェー、④スウェーデン(日本は111位)。フィンランドは世界トップクラスの男女平等な国で、日本の遥か彼方にいる。

そんなフィンランドでは、一般的なビジネスパーソンだけでなく、政府や企業の幹部でも、さらには国会議員や閣僚を見ても、女性の占める割合は日本と雲泥の差だし、男女間での家事の分担も当たり前。もはや、「男女平等を!」とか大きな声で言うこと自体がためらわれる。フィンランドでも、さすがに男女の差がゼロとまではいかないけれど、抱えている課題のレベルが違う。

これも、女性の就業率が高く、それだけ社会全体でのワークシェアができているから。夕方のスーパーマーケットで買い物客を観察してみると、日本に比べて若い男性が驚くほど多い。今ではむしろ、各カップルの事情に合わせて、男性の方が休みやすい職業に就いていれば育児休暇を長めに取得するとか、その反対とか、性別とは別の要因に合わせて、柔軟な選択を可能にすることが目指されている。

平等なのは男女だけではない。この国では、外国人に対する偏見が少なく、自分のような東洋の顔でも、フィンランド語が少ししか分からなくても、普通に接してくれる。もちろん国民の英語力が高いことも大きいのだろうけれど、外国人であることだけを理由に差別するという感覚がそもそもあまりなさそうで、街を歩いていても、ほとんど不自由を感じない。唯一困るのは、フィンランド語で書かれた表示が分からないことくらい。

繰り返しになるけれど、背景には、フィンランドが人口約550万人の小さな国だということがある。労働に参加できる人も限られ、国内のマーケットも小さいため、経済を活性化するにも、政治的に安定を求めるにも、外国との関係は大切なポイント。外に開かれた国として、発展してきており、語学の堪能な市民もやたらと多い。そういう意味でも、外国人に対する偏見が少ないというか、外国人に接するのが当たり前というか。

他にも、LGBTへの寛容さや、貧富の差が小さく、あってもそこまで気にしないという意味での平等の感覚など、あらゆる人が平等であるという意識が、多くの国に比べて強いように感じられる。もっというと、平等という意識が強いというより、人と人の間に敢えて差をつけようという気がないのかもしれない。

意識の深いところを想像すると、もしかしたら、サウナの存在が大きいのかも、と思ってしまう。日本の銭湯に負けないくらい、フィンランド人は平然と全裸で公衆サウナに入る。そこではみな生まれたままの姿で、年齢も体型も何も隠すことなく、お金があろうがなかろうが同じように裸で空間と熱を共有する。知らない人と隣同士に座って、汗だって入り交じる。

サウナストーブに水をかけて蒸気を立ち上らせ、サウナ内を一気に熱くする”ロウリュ”を「してもいい?」というところから会話が始まることも多い。サウナ内で政治や宗教の話はタブーと言われているけれど、そんな人を分裂させやすい話題だけは避けながら、普段はシャイと言われるフィンランド人達が、初対面の人ともあっさり打ち解けて会話する様子をよく見かける。こういう積み重ねが、人を分け隔てることなく、誰にでも同じように接するのを当たり前に思う意識を作っていくのだろう。フィンランド人と切っても切れないサウナ内のそんなことが、人々の平等感の根底にあるのではないかと思えてくる。そういう意味でも、フィンランドでフィンランド人と一緒にサウナに入るという経験は面白い。

やや話が逸れたが、要するに、平等と多様性に対する理解の深いフィンランドの社会には、誰もが必要とされるような雰囲気と、そのための環境があるのだ。だからこそ、誰だって重要な戦力として社会に貢献することができるし、それが期待されてもいる。出身や家柄に関係なく教育を受けることができ、必要なスキルさえ身につければきちんと社会に参加できること、それが意識することなく当たり前であること、時間をかけてそういう社会を作ってきたというのはすごいこと。

信頼とリスペクトが社会のベースのひとつ

フィンランドは基本的に性善説の国だと思う。それを可能にしているのは、この国にたくさんいる”良い人“たち。フィンランドには良い人が本当に多いと感じる。だから、最初から人を悪く思う必要性もないし、人を悪く思うことを知らない人も多いとさえ思えてしまう。街には落書きも悪戯もほとんどなく、たまにヨーロッパの他の国からフィンランドに帰ってくると、外国人の自分でさえホッとして、落ち着いてしまうほど。悪いことをする人が少ないことの分かりやすい一面だ。レストランのランチビュッフェなど、お金を払わずに食事をしてもお店の人は気付かなさそうなレイアウトがよくあるけれど、たぶん誰も無銭飲食などしていない。様々な場面から、人が悪いことをしない前提に立って社会ができていて、それが機能していることが感じられるのだ。社会保障や教育制度が整っていて、社会からはじき出されてしまう人が少ないことも理由だろう。

実際に、この国でフィンランド人と接していると、初めて会う人でも、大抵は最初から自分のことを信頼してくれているように感じるし、こちらも変に警戒する必要を感じない。挨拶には挨拶で、笑顔には笑顔を返してくれる。一度決めた約束はきちんと守ってくれる。初めて会う人でも、自分のことを信頼してくれているように感じられることも多い。

こうして他人を信頼できるということで、例えばあまりに細かいチェックを毎回しなくてもよいなど、無駄なコストをかけなくて済むようになる。たまに、フィンランド人の正直すぎる発言を聞いて、もう少し他の国の人たちに対して駆け引きすれば良いのにと思ったりするけれど、それも信頼がベースにある彼らにとっては自然のことなのかもしれない。

信頼が確立していると、その分、社会がシステムとして機能しやすくなる。エコシステムの中に、よそ者を積極的に受け入れることにもつながる。この感覚が、オープンイノベーションの社会を可能にしている。分かりやすい例が、オープンソースで発展して、信頼性と機能を獲得してきたLinux。世界中の開発者の知識とアイデアを積極的に取り入れることに成功したのだ。オープンなのはITに限った話ではなく、様々な分野に共通している。これまで知らなかった新参者でも、基本的に信頼されやすいという土壌は、国内の教育レベルの高い人材も、外国からの人材も、積極的にどんどん取り入れていく強みになる。

口には出さなくてもフィンランドが大好きという愛国心

フィンランドの人たちは、絶対にフィンランドが大好きだ。日常的には「フィンランドなんて冬は暗くて寒いし、娯楽は少ないし、美食の国でもないし…」と自虐的なことを言ったりするけれど、実は誰よりも自分の国が好きな人たちだと思う。

フィンランド人にとって、この国が存在するのは当たり前ではない。ロシアから独立したのは、今からわずか100年ちょっと前の2017年のこと。その後、第二次大戦ではソ連と戦わざるを得なくなり、冬戦争と継続戦争という2つの闘いで善戦したものの、最後は敗戦国となった。産業都市ヴィープリを含む大切な領土をソ連に割譲し、多額の戦後賠償を負うという痛い経験をしている。その後も政治的にソ連を刺激しないことを是として、バランスを最重視する外交で生き抜いてきた。フィンランド人の男性は徴兵制で軍隊を経験するし、女性も志願制で参加できる。大国の隣で、一歩間違えれば簡単に吹き飛んでしまうような状況で、100年間なんとか独立を保ってきたという意識もあるはずだ。

独立記念日の12月6日には、毎年大統領が晩餐会を主催し、たくさんのゲストが招かれる。閣僚や国会議員、アスリートに芸能人、経済界の大物など、とにかくたくさんの有名人が集まり、順番に入場していって、大統領夫妻がゲストを握手で迎え続ける、という様子が延々とテレビ中継される。これが、フィンランドでは1年で最も多くの国民が視聴するテレビ番組。日本の紅白歌合戦みたいなものだろうか。この国民的握手番組、実は最初に入場してくるのはとっても年配の老人たち。初めて見た時は、「この人たちは一体誰?」と訳が分からなかったけれど、聞けば彼らは退役軍人。つまり、体を張って、祖国を守ってくれた人たち。1年に1回、フィンランドの独立をお祝いする行事で、こうした人たちにきちんと感謝をする機会があるというのは、フィンランドが独立国であることがいかに素晴らしいことであるかを確認し合う大切な機会。

こういう感覚は、いまの日本人にはあまり分からないのではないだろうか。反対に、フィンランド人にとっては、フィンランドという国は自分たちの手で確立し、守ってきたものという強い意識があるのだろう。こういうのが根底にあって、多くの人たちがこの国を愛しているから、フィンランドを捨てて地球上の別の場所を選ぼうという考えはおきにくく、人材がどんどん流出していくような状況にはならないのだと思う。英語がとても上手で教育レベルが高いのに。もちろん、留学や仕事で一時的に海外を経験する人はたくさんいるが、いつかはフィンランドに戻ってくる、という人が多い。大好きな母国で生きていくために、社会に貢献する。そんな感覚を無意識にでも持っていることは、素敵なことだ。 

実はイノベーションが起こりやすい社会

ここまで、次のような観点からフィンランドの特徴を取り上げてみた。
・  外に開かれた小さな国
・  充実した福祉と教育
・  高いレベルでの平等と多様性
・  信頼とリスペクト
・  愛国心
・  全員参加型の社会

国が置かれた状況に合わせて、合理的に社会を作ってきた結果と言えなくもないけれど、実は、これらの特徴は、ちょうど良い具合にイノベーションの起こりやすい社会を作り出してもいる。イノベーションとは、社会に変化をもたらしたり、新しい価値を創出したりすること。そこには、以下に並べるような特徴はとてもうまく作用する。
・  個々の資質が高いこと
・  社会保障に支えられ安心して挑戦ができること
・  無駄な単純作業をできるだけ避け、頭を使ったクリエイティブな作業に時間を使えること
・  他者を積極的に組み込んだり、外部のアイデアを積極的に取り入れたりすること
・  そもそも外に目が向いていること
・  自分の国を大切にしていて社会を良くしようという志を持っていること
・  効率性追求や新しい物好きなどからITなども積極的に活用しようとすること

こういう特徴を持つ社会は、新しい方向に進んだり、変わったり、何かを生み出したりすることに前向きになりやすい。古い体質や現状にしがみつく必要性もない。国が置かれた様々な条件に対応せざるを得ない中でも、着実に、そして柔軟に取り組んできたことによって、実はこんな特徴を持つ社会ができあがってきたと思うと、とても面白い。

「高福祉型」とか「男女平等」とかいうような上辺の言葉だけではなく、もっとじっくりフィンランドを覗き込んでみると、社会の作り方において日本が学べるポイントがギッシリ詰まっているように思えるのだ。せっかくフィンランドに興味を持ったなら、是非ともじっくり見てもらいたいもの。もしかすると、サンタクロースやムーミンについても何か違った見え方があるかもしれない・・・。 


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Kiitos!(ありがとうございます)
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Yoshito

2019年3月まで3年間をヘルシンキで過ごしました。ときどき、フィンランドやヘルシンキのことを書いています。

ヘルシンキってこんな街、 フィンランドってこんな国

2019年3月まで3年間暮らしたヘルシンキと、フィンランドで気になったことを書きました。
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コメント2件

とても共感です。特に多様性のところ、私も一言フィンランド語で話しただけで、フィンランド語で返してくれる人が多くて驚きました。見た目で判断しない人たちなんだなあと。
横から目線の人たちで付き合いやすいですよね。
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