【こじつけの悪魔】チェンソーマンファンが2部を予想する
12月31日20時。
帰省、年末。
時間がある。すなわち暇である。なのでチェンソーマンの2部がどんな展開になるのか考えまとめた。酔った勢いで紡ぐニワカの戯言。ガチオタクの人は見ないでくだちい。よろしくお願いいたします。
第二部最高!アニメ化最高!未来最高!
①第二部:大まかなストーリー予想
大まかなストーリーを予想するために、まず「第一部公安編」の整理をする必要がある。
整理のために使用するのは、【マズローの欲求5段階説】
このマズローの欲求5段階説に「第一部公安編」のストーリーを照らし合わせてみると、チェンソーマン第一部は主人公の【欠乏欲求】を満たすストーリーだったことがわかる。
主人公デンジくんは、第1部のストーリーを通して、生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、そして承認欲求という順番で満たされていった。
※詳細上図参照
それを踏まえた上で、
第二部はどうなるのか。
だだんっ
【第二部では、成長欲求に触れる】
というのが私の説である。
これは、第一部が欠乏欲求を満たしていくストーリーだったからという理由の他に、もう一つ理由がある。
・・・
皆さんは、
第一部ラストのセリフ(第二部告知でもあるセリフ)を覚えているだろうか?
そのセリフとは、
【趣味で悪魔を殺している】だった。
趣味。
趣味で悪魔を殺している。
「趣味」とは承認欲求から始まるものではなく、より高次の次元の欲求に紐づくものではないだろうか?
もう少し咀嚼して言うと、「趣味」とは【自己実現欲求】(=自身の能力を発揮し創造的活動をしたい)に近いものだと思っている。
つまり、第二部はデンジが【自己実現の欲求】そして【成長欲求】を満たしていくストーリーになる。
ということではないだろうか?
(自己啓発するデンジは見たくないが)
わざわざ藤本タツキ氏が「趣味」というワードをあのタイミングで入れたことが非常にひっかかったので、今回の説を唱えるに至った。
では具体的にどんなストーリーになるのか。
ここからは完全に私の妄想(+オタクの友人の戯言から着想を得た妄想)なので心穏やかに聞き流してほしい。
②第二部:具体的なストーリー予想
<映画を作るぞ!>
第二部!舞台は学校!!学校といえば部活!!!
デンジ、映画部に入り映画をつくる!!
悪魔を倒すという趣味を映画で拡張表現し、エンタメとして昇華するのでは?!というのが私の妄想だ。
なぜ映画なのか。
それは!映画が!学生ができる創造的活動!かつ作者が好きなものだから。
(昨日、桐島部活やめるってよ を見ました)
そういえば、コベニちゃんの妹デンジと同い年だったはず。
第二部では、デンジとコベニの妹が同じクラスになって同じ部活にはいり、ストーリーが始まる。多分。
<パワーに会いに行くぞ!>
パワーちゃんに会うまでは二部は終われない。
映画の撮影が行き詰った二人は地獄へ…! あり得る。
パワーちゃんを探すという名目で地獄を旅してほしいし、何なら早川アキにも遭遇してほしい。
③小ネタの予想
ここからは、ストーリーの中にある細かい設定の部分の考察。
・吉田ヒロフミ氏の能力から考える、強さの定義の刷新
第二部で活躍するといわれている吉田ヒロフミ。
そんな彼と契約している悪魔は「蛸(たこ)」
実は「蛸」、宗教(エリア)によって全く印象が違う。
日本では、たこ焼きにいれたり煮物にしたり刺身にしたり、食用として親しまれているが、ユダヤ教では(一部のキリスト教やイスラム教でも)
「蛸」は「悪魔の魚」として忌み嫌われている。
何が言いたいか。
つまり、
信じる神によって「恐怖」にグラデーションが発生するのではないのか?
第一部では、銃の悪魔、デンノコの悪魔など人が普遍的に恐怖を感じるものが登場した。
しかし、突然の「蛸」である。
これはもう、
第二部では、パワーインフレを避けるために、強さの定義を刷新し恐怖にグラデーションをつけるという強い意思の現れではないのだろうか。
・マキマの犬
にゅあ~はいはいはいはいはい
ただいま ただいま
いくつかあるマキマの沼の一つ、「にゅあ~」
このシーンにでてくる犬の数、何匹かご存じだろうか?
7匹。
犬が7匹。
7匹の犬。
完全なこじつけ理論じゃん~と自認しつつ、「7匹の犬」に関してどうしても言いたかったので書く。
レジリエンス・トレーニングというものがある。
レジリエンスとは「困難にぶつかっても、しなやかに回復し、乗り越える力(=精神的回復力)」と定義されている。
その力を高めるためのトレーニングが、思い込みを払拭するレジリエンス・トレーニングであり、心の内側にある代表的な“思い込み”を7匹の犬に例えている。
作中ラストで、デンジはマキマさんから7匹の犬を引き取った。
7匹の犬を引き取ったということは、
マキマの中にあった「思い込み7匹の犬」をデンジが引き継いだという暗喩ではないのだろうか。
だとしたらどうなのか、という話だが、
この設定がストーリーに絡むと面白い。
ーーー
このnoteの内容は、今年の春に友人たちと企画したチェンソーマンを語る会で語った内容のブラッシュアップ版である。
長々と書いてしまい恐縮。
一年の締めくくりに何か言いたくなったが、特に言うべきこともないからチェンソーマンの考察を書いた。
以上。良いお年を!
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