【ネタバレ】シン・エヴァを観た。


にわかが思ったことをメモ書きした程度なので、ガチオタクの人はブちぎれないでください!落ち着いて!!一旦深呼吸しましょう。ふ~~~

映画視聴後の走り書きです!気が向いたら清書します!

ネタバレ含みます!!

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劇場版シン・エヴァンゲリオンをみた。

エヴァとの出会いは、中学1年生だった。
逃げたいことも、苦しいこともなかった。毎日が楽しく、ほんのりとした希望と理由のない自信に満ちていた頃ころだった。

碇シンジが嫌いだった。

大人になってから、破とQを見た。
そして、今日、シン・エヴァを見た。

碇シンジがちょっとずるくてニヤっとした。

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観終わった最初の感想は、
この映画が言いたかったことって、【大人になれるよ!】じゃなくて、【大人になれないかもしれない】だったのかなぁと思った。

あと、【私、中学生の頃より、今の方がエヴァに乗れそうだな】と思った。

エヴァに乗る条件は「14歳の母親がいない子供」
そして、作中での子供の定義は「起こった事象を受け入れられない者」

で、今の自分はどうなのかと自問自答する。
「知っている」と「知らない」どちらが子供なのか?
と問われると、「知らない」方だと思う。
思うのだけど、「知りすぎてる」とまた子供に戻る気がする。

「知りすぎる」と「受け入れられられない」から。
子供の時と比べて受け入れるべきことが多すぎて、受け止めきれないんですよ。もうね、今ならエヴァとシンクロできそう。今の方がよっぽど欠けてる。
(身体的ルール無視です。myルールに基づいての発言です)

だから中学生の時全く刺さらなかったエヴァが、今はこんなに苦しい。

リアリティじゃなくてイマジナリーを求めるんですよ。
だからみんな異世界転生したがるんだよ。

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●話の構造と哲学と

このエヴァ、大枠でみるとどんな構造になっているのか。
最近ニーチェの思想を構造に持つ作品面白いと思っていたので、当てはめて考えてみた。

最終局面の大枠は、おそらく
神(絶対)VS 神の否定者:碇ゲンドウ

◆碇ゲンドウ
魂を解放し、永遠になるために、神を殺し人類をグレードアップする人類補完計画が彼の望み。「神は死んだ」ニーチェ的思想を持つ。
無償の愛を受けずに育ち、ユイへの想いを断ち切れずにいるアダルトチルドレン。
滅びる体(=死の器)を持たない魂に憧れを持つルサンチマンの権化。
◆初期の碇シンジ
ニヒリズムの権化。すべてが無意味だと思っている。
◆ミサトさん、リツコさん、など。ネルフ?
超人。ルサンチマンに流されず生(人間の体)を肯定
ミサトさんは加地さんが死んだことを受け入れていた。さらにいつか死ぬ死の器(=人間)を産むことを選んだ。
ルサンチマンVS超人の構図。でニヒリズムの払拭が行われていた。

では碇シンジ君は何なのか?

勝手な妄想もあるのだが、「残酷な天使のテーゼ」という初期アニメOPに答えはあるのではないだろうか。

残酷な天使とは何か。
これ、最初は「残酷な指令を下す天使=神側」だと思っていたのだけど、実は、「残酷な天使=神への裏切り者」なのでは...?
つまり、「残酷な天使のテーゼ」とは「碇ゲンドウの人類補完計画」ではないのか。

「少年よ神話になれ」
このフレーズ、神話になるのはそもそも神でないとなれない。
少年とは十中八九、碇シンジである。
つまり碇シンジは、神を消滅させようとする碇ゲンドウを救済する、新たな神?


●子供と大人とママ

「大人になること」を「受け入れること」だと再三のべている本作。
そして「大人になる」ためには、どうやら「無償の愛(=ママ)」が必要なようだ。

このテーマに沿って、各登場人物を見直していきたい。


●碇ゲンドウとは
体を「死の器」として定義。
魂を解放し、永遠になるために、神を殺し人類をグレードアップする計画が人類補完計画。「神は死んだ」絶対的存在が喪失されることによってすべてが相対する。そんな世界を望むゲンドウ。

と言えばなんかかっこいいけど、作中で一番子供ベイビーちゃんだったゲンドウ大先生が「ユイに会いたい!離れたくない!」という最強のエゴから考案された計画。

「大人になれシンジ」って言ってたのに、最後まで何も受け入れなかった人物として描かれていて興味深い。

そして、ラスト一歩手前のゲンドウ自分語りシーン。
作中でゲンドウが最も子供だとわかった時の、急に御託を並べだすあの姿勢。
無口キャラ碇ゲンドウがすごい勢いでしゃべりだしたから、びっくりした&ちょっと冷めた感はあるものの、子供らしさの最大限の演出であったと思うと納得ではある。
あのタイミングでしか、キャラ崩壊できなかったよね...。
解釈違いを私たちが感じれば、制作者にとって正解というか勝ちだったような気もする。

●碇ゲンドウのママとは?
本物のママである必要はなく、愛を与える存在。碇ユイさん。
いなかったはずなのに、シンジの中にいたというオチ。
(ヒカルの碁...そして流れるget over...)
で、シンジを通して無償の愛を手に入れて成仏する。
●碇シンジとは
最初から一貫して「ガキ」「子供」として描かれているシンジ君。

最後は、いろんな人の死を受け入れて=大人になって、お父さんのエゴを成仏させて、イケメン(心身ともに)になってハッピーライフを送ります。よかった泣いた。
「俺、私も碇シンジなんだ」って持っている大人チルドレンを圧倒的に置いてきぼりにするスタイリッシュな最後でした。

●碇シンジのママとは?
初期はミサトさん、中期はアスカ、後期はマリ、全体を通してレイ。
あとカオル君も。
というか出てくるキーパーソン、ほぼ全員碇シンジのママ。

愛されてるシンジ君。
●アスカとは
劇中の「アスカはアスカ、それで十分」というセリフから、
おそらく「自己肯定感の欠如の象」なのだと思う。

14年間、エヴァに乗っていた。つまり、14年間大人になれなかったということ。多分、【自分が求めていた者から求められる瞬間】を経て、大人になるよう設定されたキャラクターなのだと思う。

●アスカのママとは
ケンケンとマリ。そういう描写あった気がする。
決め手はシンジの「僕も好きだった」かな~
好きに対して、好きと返ってくることが彼女にとっての愛が満たされる瞬間というかゴール設定だった。
●綾波レイとは ※シンエヴァの中での
シンジに愛を与える存在

●レイのママとは
委員長?そもそもレイは与える存在だった?

というのが今のところの見解。
ママの愛を受けたシーンがあるものから、離脱している。
(離脱=エヴァに乗っていない)

●マリとは?
マリだけがちょっと不可解だったのだけど、
聖母マリアの具現化ではないだろうか。冬月がマリアってわざわざ言っていたシーンを描いているし。
物語の中で、イマジナリーではなくリアリティーな世界における「ママ」としての存在。人類にとっての「ママ」なのかと。
最後までエヴァに乗って戦っていたのもそういうことなのかと。

ただ、「子供」の解釈から外れてしまうから疑問....




●エヴァに乗れる「チルドレン」とは何か?

このnoteの最初で、【今の方がエヴァに乗れそう】と述べた。

エヴァに乗れる条件は、子供であること。
一説では、14歳で母親のいない子供と定義されているらしい。

で、ここでいう「子供」って14歳って定義されているらしいけど、身体的うんぬんじゃなくて精神的な意味での子供なのではないだろうか。

(身体的な14歳って公式の定義だったっけ...?)

アスカ「私は私、それで十分=自己肯定感」
アスカ「あの頃は好きだった。でも私が先に大人になった」
 ・・・シンジより先にエヴァ降りてた。
シンジ「涙で救えるのは自分だけ=他者へのおもいやり」
 ・・・エヴァに乗らなくてもよくなる直前のシーンで精神的な成長を見せつけてくる。

ニヒリズム、ルサンチマン状態から、いかに超人の域へ到達するのか。
その解でもあるのか?


●エヴァとは何だったのだろうか。
愛情が入るはずだった場所を埋めるための張りぼて。
結局のところエヴァの否定だったのでは、と思う。


●好きなセリフ

シンジ君「涙で救えるのは自分だけ」
これ良いですよね。目的語が他人になっているのいい。いつも自分のことばかりガキシンジ君からの卒業を確かに感じた。

●好きな小ネタ

①ミサトの作戦を全部5分まきで伝えるリツコは絶対めっちゃ仕事できる。
②補完ユニットの形状が綿毛なの良かった。

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