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使っているギターが重い話

どうも。

Kabaddiです。

使っているギターが重いんです。
レスポールはただでさえ重くて、その差は他のギターに比べて約1kg。

(出展:https://guitarhana.info/2017/03/14/post-360/)

しかも僕の使っているギターはジャックをプラスチックプレートから金属へ変更していたり(使っているとすぐバキバキに割れる)、ペグを金属に変えていたり、その他諸々でさらに重くなっています。

長時間のリハーサルを終えて家に帰ると左の鎖骨にアザができているなんてザラ。

ただ、この重さには物理的ではない重さもあるのかもしれない、と最近思い始めました。
少し長くなります。

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バスケ部をやめて、父にギターを教わった

中学に入学した時、どの部活に入ろうか悩んで、当時面白いと思っていたバスケがいいなと思ってバスケ部に入部しました。
NBAも盛り上がっている時期で、有名プレイヤーに憧れていました。

しかし、練習はただただきつく、また成長痛が激しかった僕は長時間走ることができなかったため全く練習についていけず、半年で退部。
今思えば、プレイヤーとしてではなく、戦略や選手の動きを分析するのが好きだったんだと思います。

部活が強制の中学ではなかったので、その後は部活に入ることもなく学校と家を行き来するだけに。
勉強は好きだったので苦ではなかったものの、面白くはないよなーとなんとなく思っていました。

そんなある日、たしか何かの用事で母がおらず、姉も部活か塾で家にいなかったので父と二人で夕食を食べ、ぼーっとテレビを見ていたら、

「ギター教えたる」

おもむろに父が言い出し、家にある2本のギターを持ってきて簡単なフレーズを教えてくれました。
1本はいま使っているレスポール・ゴールドトップ。こちらを父が持ち、もう1本のギターを膝に乗せられました。

今でも忘れない、Humble PieのFour Day Creepという曲のイントロを教えてもらいました。(父は「カクタスというバンドの曲だ」と言っていた)

家のリビングで男二人で向き合って、ギターを教わり、母が帰って来る頃には何事もなかったかのように二人でテレビを見ていました。
どこか共犯者のような、そんな空気だったのを覚えています。

それからギターを弾くようになり、静かにギターや音楽に引き込まれていきました。
父が持っていたもう一本のギター(ストラトキャスター)を食事の時以外は膝に乗せて、テレビを見ながらでもずっと弾いて練習、練習、練習。

小さい頃から習い事が続いたことがなく、関心・興味の移ろいやすい人間だと思っていた自分にとって、静かに引き込まれ、その後15年以上ギターを弾くとは思いもしなかったけれど。

父はどんなギタリストだったのか

以前の記事(https://note.mu/kabaddi13/n/na2cb44020125)でも書きましたが、両親は元バンドマンです。

学生時代、京都を中心に別々のバンドで活動し、京都磔磔や神戸チキンジョージでワンマンを行うようなバンドだったと聞いています。

ギターを始めた頃はあまりよくわかっていなかったのですが、その後バンドを組み、ライブハウスにも出入りするようになった18歳ごろに、あらためて父がコピーしていたバンドを聴きました。

異様にクールで、緻密で、創造性に富んでいて、熱い。

これをコピーして(楽譜も当然ない)、オリジナル曲も作ってバンドで幾度も日常的にワンマンを成功させていたのか。
愕然としました。ギタリストとして若いながらも自信をつけていた時期だっただけにショックでした。

そして、もう一つ浮かんできた思いは、

「これができて、ワンマンもやっていたのに、それをやめてサラリーマンになって、その後自分を育ててくれたのか」

ということ。
当時漠然とバンドを続けていきたいと思い始めていた自分にとってそれは衝撃で、感謝と疑問が同時に噴出してきました。
父のなかにどんな葛藤があったのかはわかりませんが、おそらく強い葛藤があったんだと思います。

そんな葛藤の末、覚悟をしてバンドを辞めた人に、部活をやめてふらふらしていた時に教えてもらったギターで、バンドを続けていくのか、というさらなる葛藤が芽生えたのは事実です。
今では葛藤はしていないものの、その分の覚悟はずっと心の中にあります。

受け継いだギター

二十歳になり、当時やっていたバンドでシングルのリリース企画を行うことになったとき、父に

「ゴールドトップ、貸したるわ」

と言われました。
それまでは「まだ早い」「貴重なものだから子供には触らせられない」というようなことを言ってほとんど弾かせてもらってなかったのにも関わらず、です。

初めてリハーサルで弾いたゴールドトップは肩に食い込むくらい重かったけど、ガツンと鳴る、その説得力に感動しました。

ボディには無数の傷。
塗装の剥がれは汗のあと。

たたずまいに圧倒されながら、どうにか受け継いだ(借りた)ギターを使い続けて10年。
ようやくギターに合ったいい音を出せてきたような気がします。

自分の汗で汚してしまうのは最初は気が引けたのだけれど、ライブで思いっきり弾いて、思いっきり汗かいています。

父を超えようとか、そんなことは思わないけれど、
父が見たことのない景色を見たい、見せたい、とは強く思います。

1万、2万規模のライブハウスの二階席に招待してライブを見せて、

「いいギターだ」

と、息子ではなく自分のギターを褒める父が見たい。

必ず見ます。

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ここまで読んでいただいてありがとうございます。
長くなりましたが、
使っているギターが重いんです。

これからも使い続けます。

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