夢日記の危険性について
どうも。
Kabaddiです。
春眠暁を覚えずと言いますが、それは秋の睡眠でも一緒のような気がしています。
今日はそんな睡眠のお話を。
夢日記の危険性について
昔からよく夢を見ます。
しかも見たら見た分だけ覚えているので、2018年は覚えている夢のほとんど全てをツイッターに書き込む活動をしていました。
それなりにいろんな方から面白がっていただけて、ライブハウスでは
「夢のツイート見てるよ」
だったり、
「いつも面白い夢みるのね」
だったり、
「夢、楽しみにしてます!!」
だったり、
「夢のツイートの人ですよね?」
だったり、思い思いの言葉をかけていただきました。
2018年にやっていたことを今年になってほとんどしなくなったのには理由があります。
このツイート達には夢日記としての役割があるのです。
夢日記とは、その名の通り夢のことを記録する日記のこと。
夢の中は現実とは違うことが起きるのでそれが面白くて日記に書く人が昔からいたようです。
しかし。
夢日記、危険です。
何が危険かと言えば、端的に言うと
「どちらが現実かわからなくなる」
から危険なのです。
夢とはいえ日記やツイートという形で文字にして頭の中に再構築してしまうと、それは夢として処理されずもはや経験として処理されるようになってきてしまいます。
赤い靴を履いた夢を見たことを夢日記に書くと、「赤い靴を履いた」という経験として記憶に残ってしまうのです。
赤い靴ならまだしも、
「友人がバスになった」
や
「ベッドが追いかけてきた」
などの突拍子も無い夢が経験として蓄積されていくのです。
その結果、脳が混乱して、
「あれ、お前こないだバスになってなかった?」
や
「ベッドが追いかけてきてさー…お前んちはどう?」
などの突拍子も無いことを真顔で話すようになってしまうのです。
何かで読んだのですが、夢日記をつけることが習慣になってしまった人は、現実であるということのサインを複数用意しておき、起きてからはそれを一つ一つ確かめることで区別をしていたそうです。
というように。
夢の話を誰かに教えるのは楽しいことだし文字に残したくもなるのだけれど、文字にするということは現実になるということだから夢日記は危険です。
というお話。
たまにはいいのよ、たまには。
それではまた明日。
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