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ひまわり

随分長くここに書き込まなかった。
その間にいつのまにか春が来ていて、桜も満開を通り越した。
今年の春は心が冷えていて、素直に季節を楽しむ氣持ちになれずにいた。このうららかな春の裏側で、理不尽な争いに巻き込まれて命を奪われている人たちがいる。
その争いが意義を持つものであっても(いや争いに意義はないと思うけど)、大切な世界の流れの転換期を担うものであっても、血を流し命を落とす人がいて、その死を嘆き悲しむ人がいる。それを思うとわたしの身体の芯の方が冷たくなって笑顔が出なくなる.…。
これは乗り越えなければならない時代の転換期であるとはわかっている。
遠くにいて何もできない私たち。寄付は武器屋への上納金だ。それよりもわたしたちそれぞれの心の中にある小さな争いをやめることが大切ではないかと思う。小さな争いごとのベクトルの矢がやがてたくさん集まって、戦争に形を変える。ならばその矢を作らないようにしたらいい。ありがとうと愛だけでいい。いいでしょう。

たんぽぽをひまわりと言ってくれた人がいる。
たしかに向日葵みたいだ。
太陽に向かい顔をあげ、精一杯光を浴びてほころぶその様は、自らが受け取ってきた使命を知って太陽星座を輝かせる自分の姿だ。
争いを計画する人
争いの種を撒く人
争いの種を大きく育てる人
芽吹いた種に火をつける人
火に風を送り煽る人.…
そんなものが、そんな悲しみを生む以外にない行為が、あなたの太陽星座の使命なのか..…

黄色く温かく穏やかに輝くこのたんぽぽを、ひまわりと言ってくれた人がいる。多分この花を知らなかったんだと思う。そんな人いるん❓って思うでしょう。でも...路傍の花に目を向けることすらできないほどの壮絶な人生を送ってきた人には、この花がひまわりに見えたのだと思う。
想像力を欠如させることなく、さまざまな人生やその背景、生き方に想いを寄せたいと改めて感じた今日の朝の散歩道.…。
向日葵のようなたんぽぽ。

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