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年間100枚チェキを撮るオタクがミニマリズムを実践してみた末路④

オタクマキシマリストによるミニマリズム実践記、ついに最終編です。

第一弾・・・きっかけと捨て方の勉強


第二弾・・・ミニマリズム実践編(物理的)


第三弾・・・ミニマリズム実践編(電子的)


最終編となる第四弾では、ミニマリズムを実践してゆくなかで感じたことをまとめたいと思います。


感じたこと①無駄が減った

モノを捨てると、「これは自分に必要かな?」という事を何度も問い直します。その過程で、自分が大切にすべき事が明確になったように感じました。



僕の場合は仕事とオタクと生活をするのに、「ないと困る」モノ以外は残らなかったように思います。


例えば

・最低限の家電や家具
・仕事のためのPC関連用品
・サイリウムなどのライブ用品

などです。

おかげで部屋もシンプルになり、生活の動線も楽になりました。



また、電子的ミニマリズムを実践した際にも同じことを実感しました。無駄なアプリ通知やツイートによって時間を奪われる、というリスクを極限まで減らして「ほしいものにストレートに」向かえるようになりました。


感じたこと②自己効力感が高まった

これもミニマリストの多くが実感することらしいですが、本当に実感しました。



部屋からモノが少なくなると、物理的にも情報的にも、「何がどこにあるのか」を明確に把握出来るようになりました。

これによって、自分の生活をコントロール出来ている感が高まりました。掃除も楽になりましたし、いいことづくめです。



あと、そもそも物が少なくなると、外出する時に「あれ持ったっけ?」とか、「これもあったほうがいいかな?」みたいな心配がなくなって、「自分の身一つで生きる」という意識が強くなったように思います。



感じたこと③過去の思い出に感謝した

推しとのチェキをデータ化する中で、色んな事を思い出しました。意外と、1枚1枚にまつわるエピソードがちゃんと記憶に残っていたのが驚きでした。



「最初に推し始めた時はこんな気持ちだったな」とか、「この時、研究もサークルも辛かったけど、推しのおかげで頑張れたな」とか色んな感情が湧き上がりました。



そして、今は通っていない子も含めて、出会ってくれた全てのアイドルへの感謝が強まるのを感じました。むしろ、撮るだけとって保管していた時の方が、推しとの思い出を大切にしていなかった事に気づきました。



これからは、今日も推しと会えたことに感謝して、スキャンしたらすぐにゴミ箱に入れようと思います。



感じたこと④なんのためにミニマルになる?

ミニマリストに近い存在として、「シンプリスト」という用語があります。どちらもモノが少ないことは共通していて、正直大それた定義のようなものは存在しません。


しかし、ミニマリストかどうかは、「大事なことに集中するために削ぎ落とす」という目的があるか、ということのようです。


モノをなくす中で、自分の中でも「なんのためにミニマルになるのか?」ということが定まって来たように思います。


それは、「好きなことに集中するため」です。


ミニマリストTakeruさんとミニマリスト仙人さんの対談動画にというのが、とても参考になりました。


この動画の中で仙人さんお話の中に、

何かを得るために何かを足そうとしているときは、だいたい失敗する

という言葉がありました。



確かに自分の生活を省みたときにも、部屋の中に物が増えて来たときは、新しいことを始めようとしたときでした。

そして増えていったものに囲まれた結果、過去のものに引っ張られて新しいことを始められないという状態になっていたように思います。



そして今回、物を減らすことで好きなことに集中する準備が整ったように感じます。

オタクをすること、仕事に集中するために、モノを減らす。モノを減らそうと思った自分の根底には、そんな欲求があったことに気づけました。



僕はここまで来てやっと、「ミニマリストになることは、目的でなくて手段である」という言葉の意味を理解できました。

現状の自分は、ただ単純に物を少なくしただけのシンプリストに近いと思っていますし、ミニマリストを目指そうという志は強くありません。

しかし、好きなことを続けてゆくためにも、これからもミニマルな暮らしは続けていこうと思います。


終わりに

まとめます。


オタクだって、いやオタクこそ、ミニマリストになったほうが良い。


以上です。



追記①:逆物質主義(2021/08/07)

自宅のモノを減らし始めて、約一ヶ月が経ちました。


いい加減「あ、これいらないな」と感じて捨てる、みたいなことをすることもなくなるくらいには、物が減りました。そうすると何が起きるか。


超絶、暇になります。


本当にすることがなくなってしまったのです。ここで僕は逆物質主義とでも言うべき思考にハマりかけていることに気づきました。


物質主義の人は、「モノを増やせば増やすほど、幸せになる」と考えます。一方、逆物質主義になった自分は、「モノを減らせば減らすほど、幸せになる」と考えてしまっていたのです。



でもそうではないんです。ミニマルに暮らすから幸せなわけではなく、ミニマルな暮らしの余白で、人は幸せに気づくのではないでしょうか。


改めて、「ミニマリズムは目的でなく、手段である」という言葉と向き合っていることに実感しました。

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