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【I-024】阿佐谷に「ありあけ」があった頃

JR阿佐ヶ谷駅の南口に出るとアーケードの商店街「パールセンター」があります。

毎年8月初旬には七夕まつりが開催され、隣の高円寺の阿波踊りと並び、夏の風物詩になっています。

そのパールセンターにかつて「ありあけ」という玩具店がありました。残念ながら2008年の夏に閉店し、今は携帯ショップになっています。

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写真はいずれも2008年8月12日撮影。

私は1969年生まれ。阿佐谷には1歳から住んでいます。社会人になってから数年間、転勤等で離れましたが、現在は阿佐谷在住です。

幼少期には毎日のように立ち寄ったお店です。

我々が子供の頃は、夕方のテレビ番組はどの局も子供向けのアニメや特撮モノを放送していた子供番組の黄金時代でした。

番組の数だけ、キャラクター玩具も発売されており、玩具店には、そういった商品で溢れていました。

当時、お正月に営業しているのは、玩具店だけでお年玉をもらうと、その足ですぐに行ったものです。

小学5~6年の時、最初の‘ガンプラ’ブームがありました。この品薄状態はハンパではなく、毎日放課後は、近隣の玩具店、模型店巡りでした。

今でも覚えていますが、模型店では「抱き合わせ販売」ばかりで、全く興味ない戦車のプラモデルなんかと紐で括られて売られていました。

現在ではクレームの嵐になるでしょうが、当時の親は子供にあまり干渉していなかったので、こんなことは話題にもならなかったのでしょう。

この放課後ルーティンが続いていたある日、‘ありあけ’に寄りました。馴染みのおばさんに挨拶すると、奥に来なさいと手招きしてくれました。

店の奥に倉庫があり、そこへ案内してくれたのです。

そこには、入荷したばかりのガンプラが積まれていました。おばさんは、すぐに店頭に出さずに我々のような‘’常連‘’に融通しようと思っていたそうです。

その時持っていたお小遣いで買える分を選びました。

いわゆる「1/144」スケールのものを2~3個買ったように記憶しています。

あの頃は、今のように白いビニール袋はなかったので、お店の包装紙で丁寧に包んでくれた、そんな時代です。

ガンプラもまとめて包装してもらいました。

この状態であれば、ガンプラであることもわからないので、どこかでカツアゲされる心配もなかったのです。こんな部分でも昭和って良かったなぁ、なんて思ってしまいます。

さて、‘ありあけ’との付き合いは中学校入学を境に徐々に減っていきました。中学、高校とほとんど立ち寄らなくなりましたが、大学に入ってから行ったことを覚えています。

友人と「ボードゲームを買って遊ぼう」ということになり、‘人生ゲーム’とか‘モノポリー’あたりを物色しに行ったのです。

世の中はバブル景気の真っただ中で、お店も自分が小さい頃と変わらずに活気がありました。

おばさんは、自分のことを覚えていてくれて、大きく成長したことを喜んでくれました。こういうことって単純に嬉しいですよね。

その後、大学を卒業して玩具メーカーに就職しました。

地方で営業を経験した後、マーケティング担当として長く仕事をしました。

20代の終わり頃だったでしょうか、ありあけに立ち寄りました。

おばさんは、すっかり“おばあさん”になっていましたが、お元気な様子でした。

しかし、店内の様子を見て、ドキっとしました。

玩具メーカーに勤めているので、品揃えを見ると店舗の状況はすぐに分かります。昔のように棚にびっしりと商品はなく、その品揃えも貧弱なものでした。何とも言えない気分になりました。

日本の玩具市場は、90年代初めにトイザらスが上陸したことで、流通環境が一変しました。

それまでは、デパートのおもちゃ売り場を頂点とした流通のヒエラルキーがあり、値引き販売が一切行われない業界でした。

しかし、値引きがはじまりました。さらにディスカウント業態の参入や、家電、カメラ量販店の参入もあり、既存の街の玩具店は徐々に淘汰されていきました。

‘ありあけ’も例外ではなかったのです。

その訪問から約10年経ってもほど、ありあけは営業していました。

相変わらずの品揃え状況でしたが、「おばさんが動けるうちは続けるからね」とおっしゃっていました。

そして、この撮影日を迎えます(2008年8月12日)。

1歳半の息子をバギーに乗せての訪問でした。

子供が出来て、あらためて思ったのは、子供が歩いていける場所に玩具店がないなぁ、ということでした。

‘ありあけ’には、自分がそうであったように、息子にも行って欲しいと思っていましたが、それは叶いませんでした…。

おばさんに、子供の顔を見せることが出来たことが、せめてもの恩返しだったように思います。

そんな息子も自分がガンプラを探し回っていた年齢をとっくに超えました。

残念なのは、息子には私にとっての‘ありあけ’のようなお店がないことです。玩具店に限ったことではありません。今はどこもチェーン店ばかりで、レジで会計をしてもらう以外のコミュニケーションがありません。

そういう部分がやはり寂しいですね。まぁ、子供はどう思っているかわかりませんが…。

さて、ここから数日して、阿佐谷の‘ありあけ’は閉店しました。

戦後、靴店からスタートしたそうです。以来60年以上、阿佐谷の子供たちに愛された玩具店でした。

ありがとうございました!!

「ありあけ」の包装紙


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