「僕の根底に存在しているものでもあるから」

「その頃僕がとがってたのも本当。というか今もとがってるつもりだし、これからもとがってる部分はなくしたくないなと思っています。」
「中島が感じた僕のとがりは、思春期のせいもあるけど僕の根底に存在しているものでもあるから。」

ライフで健人くんがふうまくんがとがってる思春期を隣で見てきたといった旨の話をしていたことに対するアンサー。私は、ずっとずっとあの頃のふうまくんを一様に「思春期」という言葉に閉じ込めてしまうのがずっと嫌だった。人から言われるのも健人くんから言われるのもふうまくんから言われるのも本当に嫌だった。そんな一言で終わらせられない戦いが続いていたのに、どうしてその一言で片付けられるんだろう、ってずっと怒ってた。本人がいうならまだ照れ隠しとか色々理由考えられるけど隣で見て一緒にその状況を生きていた人がどうしてそんなこと言えるんだって、端からいろんな事があるなかの姿を見てどうしてそんなこと言えるんだって、ずっと怒ってた。だから、確実にあの頃のこと全部指してるわけじゃないとはわかってても、ふうまくんが「あのときに特別にあったわけじゃない、ずっと根底にあるもの」って話してくれたの、本当に嬉しかった。私が嫌だと思ってたの7割くらい晴れた。だから、信頼できるとまた思った。まだうまく立ち回るより自分の感情を優先してしまうこどもだっただけだ、そして、相手を認めて自分も認めてほしい、そういう寂しさがまとわりついてたからだ。人と在る子だから、思い返してもらえない寂しさが募ってただけだ。今は、それが上手く返せない相手への理解がある、だからたぶんそれを望みはしてないだろうなと思う、そう見える。それ以外の方法を今のふうまくんは知っているし。私は未だにけんとくんの真意がわからない、誰の真意もわかりゃしないのだけど、けんとくんの想いがわたしにはまたわからない。だからたまにふと言葉にされるとただ驚いてしまう。けんとくんも、今のふうまくんのこと認めてくれているだろうか、自分と相知れない相手のことを赦しそばにいてくれているだろうか。「根底にあるもの」がこれに限ったことじゃないのはわかってる、言葉にせずにいられなかったいられないふうまくんも、根底にあるものの一部だと思う。今まで色んなことがあって、これからも色んなことがあって、変わっていって、でもきっと「根底にあるもの」は変わらずそこに居続けてくれるんだろうな。ありがとう、諦めずにいてくれて。