2020/9/12

本当はこういうの物語を消費してるみたいでいやで、でも書いても書かなくても物語を消費していることには変わりないからただ自分がそういうものであることを目の当たりにしたくないからいやだって思ってるだけで、だからこういう思いを持ってしまうことを私は業として背負って、5人を待ちたいと思う。明るく楽しく待つことが私に出来る唯一のことだと思う。

2018年11月28日、こう書き残していた。そして今日2020年9月12日、聡ちゃんを含めた5人でのパフォーマンスを見た。おかえりって心から思った。完全であるってこういうことなんだって、純粋に5人のパフォーマンスを見て思った。

人数を物語的消費はしたくない、絶対にそんなものコンテンツとして消費したくない。と、今も思っている。けど、どうしたって私の心は動いてしまうもので、やっぱり業として背負って、でもなるべくフラットでいたいなと改めて姿勢を正したい。

5人ってパフォーマンスを行う上で純粋に単純にとても美しいものなんだ、と視覚的に訴えられた気分だ。いや、黄金比的に本当に学術的にそうなのかもしれない。何年か前にも同じことを思った気がするけど、あの時とまた当たり前だけど違う感覚なのは、センターが不在だったからだろう。真ん中が、中心がある美しさを改めて実感した。収まりが良く締まっていて美しい。

美しくてワクワクする。

でも4人がどうということではない。誰も彼もずっとSexy Zoneでい続けてくれたし、前に進むことも止めないでくれた。何より、楽しいという気持ちを捨てないで歩き続けてくれたことに感謝したい。名前を出さないと決めた意図も答え合わせ出来て良かった、賢く柔らかく優しい人たちで良かった。今日みたいに、暫くは当人にプレッシャーがかかるような演出を拒否できないこともあるだろう。だけど、きっとSexy ZoneはSexy Zoneのやり方でそれぞれのペースで優しく包み込んで楽しく歩いていけると信じている。

楽しいけど寂しいという気持ちもなくしたくない、と話していたあの日を思い出す。

知性に彩られた美しさ。最高にワクワクするよ。