いつかの夢に描いたような"今"になれていますか?

20歳を迎えるとき、両親に向けて書いた20-Tw/Nty-。感謝と愛と少しの不安と、決意を書いていた。「土砂降りの雨も何かに追われる日々も 僕は僕でいるよ」が「もう少し自分らしく笑ってみよう」に変わった。ずっとずっと、両親に向かって変わりつつも変わらないでいる気持ちを表明してる、あなたたちの息子であるぼくはぼくでしかない、ぼくであり続ける。ずっと僕は僕という表明のことを自分のために言っているのだと思っていたんだけど、きっと両親に向けて思っている言葉でもあったんだなぁと気付いた。時々見失うけれど、でも"ここ"が僕の原点であることには変わりないし"ここ"はずっとずっと僕が僕であるための柱なんだと、柱はそこにずっとあるものなんだと、そういう気持ちがあるんだと思った。
ふうまくんはやっぱり過ぎ去った日々の一つ一つを両手に大事に抱きかかえる男の子だな。些細な瞬間も"今"の自分を作った大切なピースで、その最初の最初が両親。
「僕の小さい頃の夢は嵐になることでした。嵐になりたくて、どうやったら嵐になれるんだろうって考えて考えて、そうしたら、今このステージに立っています。でも、今の僕の夢はSexy Zoneになることです。もっと、もっとSexy Zoneになりたいです。」って3年前の夏に両親の前で話していた。夢見て、選んで、進んで、また夢を見て選んで。そうやってずっとずっと自分の未来を動かしてきたよね。「いつかの夢に描いたような"今"になれていますか?」いつもいつも"今"が自分に両親に友達に仲間にとって夢の実現となっているだろうか恥のない"今"だろうかって確認しながら歩いてるね。そうやって大切な人たちにとって誇れる自分になろうとしてたのを知っている、だけど、自分は自分の夢を現実にしているだろうかって自分のこともその輪に入れてくれている"今"はきっといつか描いた夢の鱗片であると思うよ。ありがとう。