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「HELL-SEE」20周年と私

2003年3月19日、アメリカがイラクとの開戦を宣言した。
同日に発売されたsyrup16gのアルバム「HELL-SEE」のタイトル曲で五十嵐隆はつぶやいた。

「戦争は良くないなと隣のやつが言う
 適当なソングライターもタバコに火を点ける」

「Hell-See」

20年前の話だ。
これをもって五十嵐隆の歌詞に出てくる人物の苦悩は、結局のところ現実のヘヴィな状況から遊離した社会性のないパーソナルな苦悩でしかない、そしてそれがゆえに共感する者も多かった、と指摘するのはそんなに難しくない、というか割と簡単だろうと思う。
実際、21歳で大学3年生が終わる直前の筆者の心象風景もそんな感じだった。
戦争は良くないなと、誰かに言ってもらっていた。

大学3年生で入ったゼミではみな観念の話ばかりしていて、9.11から1年半経っても「宗教」の話として他人事で片づけ、「経済」の話として理解しようとするものは少なかった。
年が明けて就職活動が始まると、こんどはその話ばかりになった。
何回目かの就職氷河期と言われていたが、なんとなく暖かい感じで過ごしていたように思う。
筆者は、将来というものに手触りを持っていなかったが、明日が来ないとも思っていなかった。
どちらにも手を伸ばそうとしていなかっただけで、そんな人間にとってsyrup16gは居心地のいい地獄だった。
主観的には、しっかり地獄なのだけれど。

「明日の天気なんて知らなくたっていいじゃん
 明日の敵なんて知らなくたっていい」

「I’m 劣性」

syrup16gは2001年に「copy」をリリース。
翌年に「coup d'Etat」「delayed」と1年で2枚のアルバムを出し、その存在を確固たるものにしていた。筆者の中で。
音色はシューゲイザーのそれだが、本家の人たちと違い、五十嵐には言いたいことが明確にあった。そこがわかりにくくて大好きだった。syrup16gは 「浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている」 ようなバンドと一線を画していた。最初に、五十嵐ははっきり言っている。

「君に言いたいことはあるか
  そしてその根拠とはなんだ」

「生活」

2001年10月5日の「copy」の発売から2008年3月1日の「syrup16g最後の日」まで。
結果として、再結成前のsyrup16gは9.11と3.11の間、そして自民党政権下にその活動があった。
もちろん、たまたまである。
この時の自民党政権(というか小泉内閣)がもたらしたものがなにかはともかく。

そう、ともかくだった。

五十嵐のリリックに出てくる登場人物たちは、明らかに傷つきいら立っていた。
言いたいこともあって、その根拠もあったが、何に傷つき何にいら立っていたのかははっきりしなかった。
はっきりしなかったのが筆者にはリアルだった、と言えるかもしれない。
個人史的には父親が家を出て行ったのもこの頃で、それはそれで人生観に影響を与えただろうが、今となってはでも貴方は実家暮らしなのね、ともいえる。
ともかく、筆者にはsyrup16gは「copy」の時点で圧倒的にリアルだった。
とはいえ、それは大学生の頭の中のリアルであった。
だから、現実がファンタジーだった。
それを「正常」 かどうかを判断するには、ずいぶん若さを持て余していた。
100%のリアルや100%のファンタジーなどない、ということを骨身に染みてわかるようになるには、もう少し時間がかかった。

「正常はもうおしまい
 正常はもう行き止まり」

「正常」

この頃、2002年ナンバーガールが解散、2003年ミッシェルが解散、プリスクールが活動休止する一方、アジカンが「崩壊アンプリファー」をメジャーから再発、11月に「君繋ファイブエム」を発表、周回遅れのトップランナーになっていった。
このアルバムに収録された「N.G.S」は「ナンバーガールシンドローム」、これに象徴されるとおりアジカンに 「空いた席に覚悟もなく座った後発バンド」 という見方も一部にはあった。

実際は、その後のフロントマンの傷つきやすさを抱えたまま実社会に具体的に働きかけていく様を見れば、そんじょそこらの覚悟ではなかった。
みんな見誤っていた。
特にTwitter日本版開始の2008年4月以降(そう、 syrup16gはその時には消えてなくなっている)、 「音楽に政治を持ち込むな」などという言説に、はっきりと「そうではない」と声をあげていたロックミュージシャンはほとんどいなかった。

では、syrup16gはどうだったか。
表層を見れば、「音楽に政治を持ち込むな」 とこれほど相性の良いバンドはいなかった。
頭の中だけがリアルな学生マインド、と。
だが、 すべては政治であり 「音楽に政治を持ち込むな」 ということがものすごく政治的である、という前提に立てば、syrup16gは非常に政治的だった。

バンド自身やリスナーが、そこに自覚的だったかと言えば、 すくなくとも筆者にはそうではなかったのだけれど。
だから、40歳を過ぎてから聴くと、すこし居心地が悪いときがある。
引き戻されるというか、実はまだ同じ場所にいるというか。

「ロックスターがテレビの前でくるったふりをしてる
 ロックスターがテレビの前でくるったふりがうまい」

「ローラーメット」

「HELL-SEE」の15曲入り税抜1,500円という建付けと価格は、そんなに気にならなかった。
当然、発売日 (多分前日) に渋谷HMVに買いに行って、 限定1万枚の8cmCD付き紙ジャケのやつを入手した、はず。多分。
あの8cm、どこ行ったかしら。

それまでのリリースがハイペースだったから、レーベルは次作をシングルで予定していたと想像するが、 それが15曲のボリュームになった。
だからアルバムサイズとしてシングル価格での発売になった、という。
そんなことあるの?と思った。
「周りの人間みんな敵に回して作ったアルバム」 と五十嵐は語る。

「もったいないもったいないかい
 もったいないなら代わって」

「もったいない」

当時、それが「理想的なスピードで」の制作とは到底思えなかった。
結果的には、その後の「パープルムカデ」「My Song」「リアル」「Mouth to Mouse」「delayedead」と2004年まで止まらなかったのだけれど。

その少し前、「作った曲全部録音して全部リリースするなんて世界中でミッシェルとザ・ストロークスだけ」というジョークもあったが、この頃の syrup16gも相当なものだった。

「HELL-SEE」のあと、1年の間にシングル3枚を出し、 2004年4月には自らを嘘発見器にブチ込んで針が振り切れるまでいった人体実験アルバム「Mouth to Mouse」をリリースする。
解散前(再結成後も含めてかも)のキャリアでいちばん良くも悪くもキツいのが「Mouth to Mouse」だと思う。
実験が、あまりにも「リアル」だったから(その手前のシングル2枚 「パープルムカデ」 と 「My Song」 の9曲がベスト、という声は筆者の中の何人かが言っている)。
CDに印刷された、プレーヤーを回すと走り出すネズミに、五十嵐の姿を重ねないことは相当に難しい。
「ネズミみたいだなって思ったのかな」。

その5か月後にある種リハビリとして出したのが 「delayedead」だった。
「Mouth to Mouse」と比べてストレートに苛立ちや絶望で砂を噛む日々をパッキングした曲が並び、既発曲が収録されたことも相まってとても聞きやすく、アップリフティングと言えた。
だから、ストリーミング配信前、syrup16gを聞いたことのない人には「delayedead」を薦めることにしていた。
そんな機会は、こなかったのだけど。

では、この度20周年を迎えたこの「HELL-SEE」は筆者にとってどうだったか。

こんな世はさっさと終わらせてしまえという苛立ちと諦念、こんな世はさっさと終わらせてしまえ俺はできねえしゃんねえけどという自虐と無力感を足しっぱなしにしたら、案の定、優しさがオーバーフローしたけど、構わずそのまま無表情でボケ続けた結果、この世が終わる3分前のような美しさになってしまった、そんなアルバムだ。

「さよなら さよなら さよならって聞こえねえよ
 さよなら さよなら さよならって聞こえないね」

「不眠症」

歌われていることは、すでに別離した後は、もう何も伝えられないという諦念、もし聞こえて振返られたところで、やっぱり何も伝えられないという自虐だ。

「レンタルビデオの棚の前で2時間以上も立ち尽くして何も借りれない」ような人が、
「美味しいお蕎麦屋さん」 に一人で入れるはずもない。
バンドTシャツ着といて指摘されたら不機嫌になるような(面倒!)な人だ。
振返られても、矢のようにやる気が失せていくだけ。
ほんとうは、聞こえてなんかほしくないのだ。
ほんとうって、 なに ?
うるせえてめえ。
メエー。

歌詞の諦念や自虐は、このとおり 「ほんとうのリアル」 ではあったが、それは常に「でもなあ...」 という躊躇いとともにあった。
その躊躇いは、当初から歌詞に執拗に駄洒落が入るところからも見てとれた。まだ笑わんか、と。
そうしないと、世界を確かめられなかった。

「三遊間超えた 親友が肥えた
  不完全燃焼な フランケンシュタイナー
  預金通帳溜った タランティーノじゃなかった
  全人類兄弟 けんちん汁頂戴」

「バリで死す」

「HELL-SEE」は「本当にこれが世界の在りようなのかっていうことを確かめたい」 と思いながら、「周りの人間みんな敵に回して作ったアルバム」だと五十嵐は言う。

なんと悲しいのだろう。

しかし、それでもこのアルバムは悲しいアルバムではない。

ディレイ、回転、倍音にまみれ、ときどきポリスやザ・ラーズのリフが聞こえるギター、遠くで反響しているような鳴りのスネア、 うねるベース。
そこにあるときは針の穴を通そうとするように細く、あるときは通らないことに苛立って叫ぶ声が聞こえる。

最高である。
最高のアルバムである。


あれから20年。
人が腐るには充分な時間×2が過ぎた。
フロントマンに、初めから腐るというか、 積極的に腐っていくというか、むしろ腐ってからが勝負、という指向がありそうではある。
このアルバム、およびあの頃の syrup16g のリアルタイムで知らない人が聞いたとき、どう受け止められているかはわからない。
ただの腐乱死体かもしれない。
が、ポップミュージックなめんな、20年経っても、自己投影にさらに同一化した個人的な思いであっても、ポップアルバムとして腐っていない。
絶対に、多分。

今日から、syrup16g Tour 20th Anniversary “Live Hell-See” が始まる。
21歳のHell-Seeと41歳のHell-Seeは、どちらがリアルだろう。
今日、6月1日からスタートするツアーの初日に行くことができた。
台風と梅雨がいっぺんに来る。
夏はすぐそこだ。
基本的にこの頃のsyrup16gにとって夏は、もう行ってしまってもう来ないものなのだけれど、20年経って、そこに夏があるといいな、と思う。

行ってきます。

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