池田小学校から転校した話

2001年6月8日、大阪府教育大学附属池田小学校で同校の児童計8人を無差別に殺害、15人が負傷という衝撃的な事件が起きた。

今日で20年経ったわけだがTwitterで軽く書くつもりが長くなったのでnoteに投稿します。

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自分は小学校5年生まで事件のあった池田小に通っていて、転校した数か月後に事件を知ることになる。
当時、昼休み??だったかに教室へ戻った時に担任から呼び出され、君の通っていた小学校で事件があった(不審者が学校に入ったくらいの伝え方)から今日は帰りなさいと言われ、下校した。
家に帰ると母親がテレビに釘付けで、自分が遊んでいた校庭に児童や先生が避難していくヘリからの映像が放送されている瞬間を鮮明に覚えてる。
何が起きているのか分からなかった。
時間が進むにつれて、いろんな情報が入ってくる。
犯人のこと、被害の状況、事件の経緯、元クラスメイトがインタビューに答えてたり(今の報道ではありえないよな)、それと同時に親からは元担任の先生が刺されたとか、クラスメイトの兄弟が刺された(命は助かった)などの情報が入ってきた。当時小学校6年生だった自分には到底理解できず、入ってくる情報に対してのキャパを完全に超えてしまい、不登校になった(今思うと拒否行動なんだろうな)。
数か月後、周りのサポートがあり保健室登校なんかを繰り返して転校先の学校生活に戻れた。
転校先での学校生活を送ってた時に、何かしたいと思った幼稚な自分は千羽鶴を送って届けると考え、クラスメイトや先生に協力のお願いをした。それが他のクラスの子たちなんかも手伝ってくれて、休み時間に外で遊ぶのが当たり前だった自分がずっと鶴を折ってた。(未だに折り方忘れてないw)。
結局完成した千羽鶴を持って、池田小に直接届けることができるとなったわけだけど、(親や各小学校、色んな大人たちが動いてくれてそのことが実現したんだろう)それと同時にものすごい不安に襲われた記憶がある。友達は元気かなとか、先生は刺されたって言われてたけどとか、どういう表情でみんなに会えばいいんだろうとか。
でも実際行ってみると、みんなは普通だった。(本当は事件当時の事でフラッシュバックを起こして悩んでいた子なんかもいたと大人になってから知った)1日一緒に授業を受け、休み時間も一緒に遊んだ。自分の転校先でのこと(大阪と関東だから言葉の違い、阪神ファンだけで笑われる暗黒期)なんかを話したりした。
帰りの飛行機の中で救われた気分になった。事件を目の前で恐怖を感じた人達なんかに自分の不安やモヤモヤなんか比べ物にならないと分かっていても、とても救われた。もしかしたら自分の中でやっとこの事件について整理がついた瞬間だったのかなと思う。
不登校期間中は映画しか見なかった。TVをつければ嫌でも事件の事を考えなければならないから。そのおかげで映画が好きになり、大人になって映画の仕事もしたり、今につながっている。あの事件がなければ今の自分はなかったんだろうなと考える時がある。
毎年この時期になると報道や記事なんかを観て感じることは山ほどある。
20年前に何があったのか社会が忘れないでほしい。ただそのことを毎年強く感じるようになった。
ありきたりかもしれないけど、忘れないでほしい。亡くなった子や事件の事を。

別に報道のありかたとか、学校での安全・安心なんかの問題提起したいわけではなく、20年間、親や友人に話したことない感情をただのアウトプットしたかった。

稚拙な文章に最後まで付き合って頂き、ありがとうございます。

そして、今あらためて亡くなった8名の方に心からお悔やみを申し上げます。

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